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特別編 教育フォーラム「国語最適学習法」

Profile

 国語科主任。最難関クラスの国語指導を長年担当し、灘・東大寺学園中などに合格者を輩出。受験生へ用意周到、合理的な方法論による対策指導を行う一方、当意即妙に受け答えし3・4年生を楽しく導くエキスパートでもある。また、時代の潮流に鋭敏で、“情報戦”をリードする「入試情報室」責任者を兼務。博識で知られ、その博覧強記ぶりは書籍からIT情報、世情、クラシック音楽への造詣にまで及び、軽妙洒脱な話術で雑学トリビアを披露し周囲の人を楽しませることも。
※国語がわかるツボ

能開センターでは、中学受験をお考えの保護者の方々向けに「教育フォーラム」を開催しております。今回の「リーダーズインタビュー」は特別編として、「国語最適学習法」についてお話しました国語科主任・露口和男の講演を掲載いたします。

1.どう学習すればよいのかがわかりにくいのが国語。それはなぜなのでしょう?

「国語」の目的は“文章を読む力”をつけることではない?

 小学校6年間で5645コマの授業が行われ、そのうち1461コマ(平成20年 文部科学省告示 小学校学習指導要領より)が国語の授業です。これは算数や理科よりも多く、全体の約4分の1の時間、小学生たちは国語を学んでいるわけです。なのに、ご指摘のように一番学習法がわかりにくいと言われているのが国語です。

 文部科学省の資料で「これからの時代に求められる国語力」というものがあります。これによりますと、「国語力の中核」とは「考える力(論理的思考力)、感じる力(情緒力)、想像する力(イメージ力)、表す力(表現力)」の4つです。意外にも、ここには“文章読解力”などは出てきません。

 もちろん、説明・論説文などを通じて論理的思考「力」を、物語文・随筆などを通じて他者の気持ちを理解できる情緒「力」を、詩や韻文などを通じてイメージ「力」を、作文などを通じて表現「力」を育成しようということでしょうが、文章の読解そのものは国語の目的ではなく、あくまでそのための手段・方法と定義されているのです。

 つくば言語技術研究所の三森ゆりか先生によれば、日本の国語教育の内容は諸外国の母語教育と比較すると“特異”だそうです。他国では「言語技術(Language Arts)」を磨くこと自体が大きな目的となっているのです。これは母語によって世界基準(グローバル・スタンダード)の言語スキルである言語技術を獲得しようというものです。

 この言語技術は、ギリシァ・ローマで始まった7科のリベラル・アーツのうち、文法学・論理学・修辞学を出発点とし、世界の多くの国々の母語教育の根幹をなしています。

 このようなことを踏まえながら考えますと、国語の学習法のあいまいさは子どもたちのせいではなく、むしろこれまでの国語指導法にあるのだと言わざるを得ません。漢字・文法などの言語知識問題を除いては他科目とは違い、再現性の乏しい文章問題への対応力をどう育むのか。これは、国語指導法の最大課題だと思います。

 国語の試験に用いられている素材文を考えてみてください。テキストで学習したものと同じ素材文は出題されません。言語知識問題を除いては、初見の素材文に接し、投題される設問に解答することを、子どもたちは出題者から要求されるのがふつうです。

 演習後に「再度解いて、間違い直し」をすれば、“経験値”とでも言うべき「学習機会度」は確かに上がります。しかし、試験においていつも未読の素材文が出題されるということになれば、このやり方だけでは十分ではありません。

 だから、「やり直しをやっているのに(学習機会度を上げているのに)、どうして得点にむすびつかないのだろう? 国語の勉強方法がわからない…」という発言につながっていくわけです。

文章問題は「ただ解いて間違い直し」では力はつかない

 そこで能開センターでは、この捉えどころがないとされる国語力を、文脈的理解(認知処理力)、言語的理解(言語処理力)、全体像心理学(ゲシュタルト心理学Gestalt Psychology)などに分解し、蓄積・習熟可能な知識や技法として指導するようにしています。

 国語問題で要求される読解スキルや設問・解答形式、そしてコード(code暗号)読解を分析・整理し、それらへの対応の系統的学習を可能とした能開ゼミのテキスト群を始め、各難関中学の入試問題をデータに基づいて徹底的に構造分析した「入試分析・合格対策講座」という冊子の制作もこうした一環です。

 ビジネススキルに「P-D-C-A」というフレーム・ワークがあります。Plan(計画)、Do(実行)、Check(チェック)、Act(行動)です。国語学習にあてはめますと、素材文をどのように認知し、どう取り組むかがP、投題された設問に解答することがDです。そして、答え合わせと反省がC、それに基づき同じ間違いをしないための改善行動がAです。

 国語の学習法がわからないと言う子にはまずPがありません。そうだからこそ、Dがあいまいになり、CやAが単なる間違い直しに留まるのです。国語では、申しましたように同じ問題はまず出題されません。ですから、単なる間違い直しでは次への改善にはつながらないのです。

 こうして、いくら学習しても国語は成績が上がらない、ということになります。この空回りを断ち切り、ギアチェンジして前進するように、蓄積・習熟可能な国語力として学習していくことが必要なのです。

2.文学的文章には、どうアプローチしていけばよいのでしょう?

物語文では、人の気持ちは心情語でストレートに吐き出されない

 国語の素材文は、文学的文章と論理的文章に大別されます。そのどちらでもそうなのですが、文章読解、文脈理解において最も重要なのは「P-D-C-A」のPを決定づける“思想”です。つまり、どういう観点で文章を読んでいくのか、具体的に何が終了すれば、「物語文を読めた」と認定してもよい段階に到達するのか、の認知をどこまで具体的に持ち合わせているかという問題意識です。

 文学的文章とは主に物語文です。これは文部科学省の言う「情緒力」を磨く手段であり、異文化コミュニケーションや他者理解を支える力です。人の気持ちをどうつかむかですが、内面が成長するにつれ、人はしだいにそれをあからさまには他者に話さないようになります。物語文における表現もそうなのです。

 たとえば、少年スポーツを題材にしたある物語文で、「キャプテンに対して、無性に腹が立った」なら、怒りの心情がストレートに描写されていますが、多くは「キャプテンのロッカーを思いっきり けとばして帰った」などと描かれます。直接の心情が隠されてしまうのです。この「描写(態度行動・セリフ・表情・たとえ・情景)」から心情を読み取るのが物語文だと言えます。

 小学生では、内面の成長に差があるのでしょう、この心情の理解では男女差が大きく出ます。また、現実に他者の気持ちを読み取るような機会はまだまだ少ないですし、さまざまな感情をリアルに体験することも多くはないでしょうから、読書などで疑似体験することでこれらを補うことも大切です。

心情を問う因果問題「心情理由」のメカニズムを探る

 心情理解を文章読解の問題として考えてみましょう。テストや入試で頻出の「心情理由」問題のメカニズムを探ります。「○○さんはなぜ ~ したのですか?」というできごとと心情の因果関係を問う形式の問題です。



 その子はきのう、お誕生日のプレゼントに赤い雨傘を買ってもらいました。ゆうべ、その子はその傘をだいてベッドに入りました。目が覚めると、よく晴れた気持ちのよい朝でした。その子は外に出てその傘をさしました。

問い なぜその子は晴れた朝に傘をさしたのですか。

 

 もし、“物語文の流れをどう読み、何をどう答えればよいか”という観点(P)を持っていなければ、「解答者のあなたはどう思いますか?」という問いだとの錯覚に陥って、的外れな答えを出すことになりかねません。

 子どもが腕組みして考えている風であっても、観点(P)をもって思考しているとは限りません。「何を考えているの?」の問いかけに、観点をもって考えている子なら「心情はわからないけれど、できごとは文中にあるはずだからそれを探している」等の返答をするでしょう。しかし、もし観点をもっていなければ、何かわからないけど、問われているあたりにただ目をやっているのにすぎないかもしれません。

 さて、先ほどの「心情は隠されている」を思い出してください。「なぜ晴れた朝に傘をさしたのか」はこの隠された心情に基づいているのです。ですから、物語文の心情をめぐる文脈はこうなります。「事情→できごと→【心情】→描写」です。

 ここに事柄を代入しますと、「事情:誕生日のプレゼントに→できごと:雨傘を買ってもらった→【心情】だから→描写:晴れた朝に傘をさす」。では、表現されていない「心情」とはどんな気持ちなのかです。「うれしくて、さしてみたかった」ですね。



解答 誕生日のプレゼントに雨傘を買ってもらいうれしくて、さしてみたかったから。

 

 「事情→できごと→【心情】→描写」の流れを、矢印とは逆にさかのぼって理由を探っていることにご注意ください。こういうメカニズムをした文脈として、物語文を読むという観点があらかじめ求められているのです。

 最後の「描写」、ここに傍線部が引かれることが多く、隠された心情の手がかりとなる部分なのですが、さまざまな描写パターンがあります。この問題では「晴れた朝に傘をさす」という「行動」でした。他には、登場人物の「態度」「表情」「セリフ」などがあります。また、心情が投影された「情景」として描写されることもあります。

 では、なぜ人の気持ちは心情語でストレートに吐き出されないのでしょうか。アリストテレス(『弁論術』第二巻)は、人間の感情を、怒り・緩和・友愛・憎しみ・恐れ・大胆・羞恥・憐憫・義憤・妬み・競争心に総括し、それぞれの感情を定義して、人がその感情を持つときの精神状態、その感情を引き起こす原因、その感情が向けられる相手などを説いています。

 しかし、人の感情というものはモノトーンなものではありません。「筆舌に尽くしがたい」と言いますが、感情を100%表現できる「単語」などあるのでしょうか。言葉に限界があるからこそ、レトリックという技術が存在するのです。

 作家の大江健三郎さんは『広辞苑』を3冊ボロボロにするほど、お読みになったそうです。昔の作家、学者さんは、皆、そうして辞書を読んで多くの言葉を自分のものにし、その人なりの表現を確立していったようです。その中で練成されていったのがさまざまな文章表現なのです。

西大和学園中入試:「心情語を使わずに気持ちを描写しなさい」

 以前、西大和学園中学の入試でいま申し上げた「心情表現のメカニズム」の理解度をはっきりと問う出題がされたことがありました。芥川龍之介の『トロッコ』という小説の一部を材料に、物語の続きの場面を100字で作文させる問題なのですが、条件が3つ付加されていました。そのポイントはこうです。

 1) 心情語を使ってはいけない。
 2) 心情描写として「情景」を書く。
 3) 心情描写として「行動」を書く。

 つまり、人物の気持ちを「心情語」で直接表現せずに「情景」と「行動」だけで描きなさいという課題で、この問題の正解には心情表現のメカニズムへの理解が必須だったのです。この理解がなければ、何をどうすればよいか対応不可能だったでしょう。

 物語文の読み方の中心軸が人物の心情理解にあり、それは「事情→できごと→【心情】→描写」の文脈で描かれているということは、ほぼ普遍的なことです。だから読解技術としてこの読み方に習熟する必要があるし、あらゆるテストや入試においてこの文脈に沿って出題されるというわけなのです。
図1

物語を読むフレーム・ワーク(観点)――複雑な心情、時間の流れ

 以上述べてきましたように、表のような心情表現のメカニズムをよく理解した上で、物語全体をどう読解していくかが重要です。物語にはさまざまな情報があふれています。よく「まず重要な情報を抽出し…」と言ったりしますが、実はPlanなくしてこれはできません。つまり、「読解の観点」を明確にすることで、初めて「読み取るべきもの」も明確になるのです。

 しかもこのフレーム・ワークは単調・単層かというと、そうではなく複雑・多層構造を持ち合わせています。人の心というのは、一つのできごとに対して、どんな場合でも一つの気持ちだけでいっぱいになっているとは限りません。

 人前でほめられたときに、うれしいけれど照れくさい気持ちになったり、小学校の卒業式を前にして、新しい中学生活への期待に胸をふくらませたりする一方で、仲が良い友達と離ればなれになるのを悲しんだりということもあります。表中の「心情」が「複数」というのはこのような状態と符合します。

 たとえば、次のようなものです。


 喜び+悲しみ 喜び+さびしさ 期待+不安(→緊張) 残念+満足
 がっかり+安心 安心+ひょうしぬけ 悲しい+我慢する こわい+強がる
 喜び+感謝 悲しみ+怒り 解放感+達成感+充実感

 一方、単層ではあるものの、要求される心情語の水準が上がると、解釈する難度は上がります。感情を100%表現できる単語の検索は困難極まるといいましたが、脳内の辞書(メンタル・レキシコン)に蓄える心情語の数が多ければ多いほど、物語文の読解において有利であることは疑いのない事実です。

 物語文のフレーム・ワークで、別に必要な観点は時間の流れです。文章を「右→左」に読むと「過去→現在→未来」という時の流れを刻みますが、その流れは不変ではありません。過去のあったできごとが現在の心情の原因になっている場合、つまり過去から現在向けての“時間数列”であれば、できごとと心情の因果関係を紡ぐのはさほど難解ではありません。

 しかし、その配置が逆転したらどうでしょう。時系列が反転した瞬間に、できごとと心情の因果関係のひもづけに脆弱さが露呈してきます。「回想」という時間軸の挿入がこれです。回想場面は、単なる時間による場面の区切れではなく、できごとと心情の因果関係の検索の際に障壁となって立ちはだかるものであるという理解が必要です。

物語を読むフレーム・ワーク(観点)――事情把握、テーマとストーリー

 次に、他者理解の中核を成す「事情把握」です。他者を理解するということは、他者の語られない個人的事情を把握することに他なりません。一般的には「人物像」と称されるものですが、人物像として一人ひとりにピントを当ててみますと、そこにそれぞれの「事情」が見えてきます。各人物の物語はその事情に基づき、「【事情】→できごと→心情→描写(行動・態度・表情・セリフ・情景など)」と流れ、進行していきます。

 しかし、同じ「できごと」が「事情」の異なる二人にはまったく別な意味を持つ、といったことも物語にはよくあることなのです。同じできごとであれば、それが原因で発生する心情は同じかという、決してそうではないということです。

 しかも、このような他者のそれぞれの事情は、物語の全体に散在しています。この散在する事情を正確に検索し理解することが他者理解そのものなのです。物語を読むという意義も、実はそこにこそあります。

 「指導において、事情を抽出しながら、映像化・イメージ化して頭の中で描くよう誘導している」という話を耳にしたことがありますが、これは困難なことです。「大切なところがわからないから線が引けない」のに、「大切なところに線を引こう」と言うのと同じですから、事情が抽出できず、結果的に映像化・イメージ化はできないと思います。

 たとえば、小さな子どもたちにお母さんが絵本の読み聞かせをしている場面を想像してみてください。母さんといっしょに絵本を見ている子どもたちは、目と耳を使って絵本を読みます。すなわち、絵を目で見て「入力」(インプット)、言葉(音)を耳で聞いて「入力」しているのです。そして「認知」します。

 しかし、このままでは「分析」はできていません。ですから、お母さんは絵本から得られる情報を文字の読み書きができない子どもたちのためにナレーターとなってお話をするのです。大切なのはこの部分で、ナレーションとは「翻訳」であり「解釈」なのです。

 そのプロセスの中で子どもたちは、その助けを得ながら「思考回路」を形作るのです。「この名詞はどのように意味づけをしたらいいのか」「どのように結末を予想したらいいのか」「この気持ちの因果関係はどこにあるのか」「この動きはどのように解釈したらいいのか」「私は違うと思うのだが…」等々。

 このような「分析」は、お母さんのナレーション(翻訳・解釈)によって誘導されるもので、自然発生的にできるものではありません。これと同様に、物語文に散在する「事情」を映像化するといっても、お母さんの読み聞かせに相当するものを間にはさまないと、脳内に「思考回路」を作り出すことはそう簡単にはできないのです。

 フレーム・ワークの最後は、テーマとストーリーに関わる観点です。物語には、主人公たちが乗り越えていかなければならない“カベ”が必ずあります。邪魔者・敵・ライバルという形で登場することもあります。作者はさまざまなカベを設定し、トラブルを発生させて、主人公やそのパーティー(仲間)を必死にする場面を作ります。

 その“冒険”の中で、主人公は様々な葛藤を繰り返すことでしょう。この葛藤を抜け出したとき、信条が変化します。これが“成長”と称されるものです。過去の一時点で大切にしていた信条が、いつどのように変化していくかが物語全体の展開のカギを握っています。

 以上のようなPlan、つまり観点、あるいは“羅針盤”をあらかじめ準備して、読解という航海へ乗り出すべきなのです。そして、この“航海術”こそが、国語力です。いかなる読解の“海”へも進み出せる力であり、それは繰り返し使える“技術”なのです。

3.論理的文章には、どうアプローチしていけばよいのでしょう?

論理的思考を「人工知能」と「タグ付き文章」との類比で探る

 2014年11月2日、国立情報学研究所(NII)による人工知能(AI)プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」の2014年・成果発表会が新宿で開かれました。大学入試問題を解ける人工知能を作ることを通して、AIの新たな可能性を探索し開拓することをめざすプロジェクトです。2011年にスタートし、2016年までに大学入試センター試験で高得点を獲得すること、そして2021年に東京大学の入試を突破することを目標にしています。

 通称「東ロボくん」は模擬試験において偏差値47.3をマークするに至ったことが新聞報道されたことは記憶に新しいことだと思います。また、今年の7月、AP通信が人工知能を記者として採用することを発表しました。すでに人工知能の記者も存在するのです。

 さて、この「東ロボくん」ですが、現代国語では“漢字博士”である一方、「文脈理解ができていない」という特性を示しました。そして数学では「このとき」「また」「よって」「したがって」等の言葉の意味と使い方がわかっていないという結果に終わっています。

 私たち人間の読解とは人工知能の読解は似て非なるものかもしれませんが、手法の一つひとつに同質なものが皆無だとは言い難いものがあります。ここに示した人工知能の特性は、人間が論理的文章に叙述されている文字情報を読み解くときに、障害となる事象と同じことが含まれているのではないでしょうか。

 もう一つ、論理的思考を考える材料をお話します。筑波大学大学院博士課程で「概念図の自動生成による文章内容の可視化」という修士論文が発表されています。簡単に述べますと、「文章から図(ツリー構造などの構造図)へのメディア変換」を、明示的に埋め込まれた「タグ付き文章」(GDA)から容易に得られるようにしようという内容です。

 言語メディア(文章)は多様な表現ができる反面、「物理的構造・論理的構造」を直感的に表現しにくい、概念の重要性を直感的に表現しにくいという欠点を持ちます。一方、図的メディア(図・構造図)は、各種構造を直感的に表現できるという長所をもっています。

 ここで挙げられている、タグ付き文章のタグは、文章を「流れ」ではなく、「ブロック」ごとにリストラクチュアリング(再構築)させ、論理的構造を図式化する信号の役割を担います。

 その例を挙げてみます。

 1.  大阪本町糸屋の娘。
 2.  姉は十六、妹は十五。
 3.  諸国大名は弓矢で殺す。
 4.  糸屋の娘は目で殺す。

 人口に膾炙されていて講釈を入れるまでもないのですが、まず「大阪本町・糸屋の娘のことですけどね」と話題を提示します(問題提起)。これが「起」です。これを受けて、「上の娘は十六歳、下の娘は十五歳なのですよ」と話題を深め、発展させます。これが「承」の部分に当たります。「転」の部分では前の「起」「承」の流れを一転させ、話題転換を図ります。その上で「結」でまた一転して元の文章展開へと合流させます。

 「転」では、「武士、大名は弓矢で人を殺しますが」と言っておいて、その一方で「同じ殺すでも糸屋の娘は違います。目で男を殺すのです」というのです。「それほどの美人だよ」ということを強調するために、「起」「承」の流れと異質の「転」をわざわざ持ってくるわけです。「転」は、糸屋の娘が希代の美人であることを強調するための伏線とも言えるでしょう。

 この起承転結の“間”ですが、第1文と第2文の間には「展開の関係」が存在し、第3文と第4文には「対比の関係」が存在します。また、第2文と第3文の間には「話題転換の関係」があり、第1文および第2文と第4文の間に「展開の関係」があります。この4文を、タグ付き文章(GDA)を用いて明示的に記述したのが次のものです。

 <su id="s1" ela="s2">大阪本町糸屋の娘.</su>
 <su id="s2" otr="s3">姉は十六、妹は十五.</su>
 <su id="s3" cntrst="s4">諸国大名は弓矢で殺す.</su>
 <su id="s4" agt="s1 s2">糸屋の娘は目で殺す.</su>

 構造図にしますとこうなります。

図2

論理的文章の読解とは連接関係で中心文をたどること

 説明文や論説文でのPlanとは、文脈の中心を追いかけることです。そのためには文と文、また段落と段落の「つながり」(連接)が理解できなければなりません。そして、これが「論理的思考力」の要なのです。このことはAI(人工知能)であろうと、GDA(タグ付き文章)であろうと、人による読解であろうと変わりはありません。

 子どもたちは「接続語」がない限り、つながり(連接)をほとんど意識しません。しかし、文と文の間にはこの例のように必ず「接続語」が必要なのです。つまり、そこには“見えない接続語”があり、何らかの連接関係があるということです。

 各段落の中心文は、この連接関係によって文脈を生成し、段落そして文章全体の意味を紡ぐのです。これは、段落が文と文の“足し算”で出来ているわけではないことを意味します。同様に、段落と段落のつながりも“見えない接続語”で論理的に連接されていて、単純な“足し算”のような理解では文章全体が理解できたとは言えないのです。

 皆さんには、高校英語の分詞構文で学習したことを思い出してもらえますと、“見えない接続語”の役割をご理解していただきやすいと思います。

 ○ Entering the room, he saw a cat under the table.
         ↓
    When he entered the room, he saw a cat under the table.

 ○ Being tired, she went to bed at once .
         ↓
    As she was tired, she went to bed at once.

 論理的文章の読解の基本は、こういう接続語を使用してできる「関係」を正確に把握することです。一例をあげますと、「AつまりB」におけるAB間の関係、「AだからB」における関係は、当然のことながら違います。ですから論理的思考とは、文や段落の連接を単純に文や段落が連続してただ並んでいるとするのではなく、文と文、段落と段落の間にある関係性を見つけ出しそれを整理することであり、論理的思考力とはそれを可能にする能力だということになります。

 この部分は、前の部分と同じことを言っている            …言い換え
 この部分は、前の部分で述べていることの具体例だ        …具体化・一般化
 この部分は、前の部分を根拠にして主張を述べている       …原因・結果
 この部分は、一つ前の一般論の部分と比べながら書かれている …対比
 この部分は、前の部分に書かれた内容の理由になっている    …原因・結果

 このように文章の部分部分の関係をブロック化して整理していくことが、論理的文章のフレーム・ワークです。段落はいくつかの文から、文章はいくつかの段落から成り、それらは相互に、言い換え、具体化・一般化、反対、対等、原因・結果など、多様で複雑な関係でつながれています。

 以上のような観点をもって読み進めていき、「どの段落(文)とどの段落(文)が等しいか」「どの段落(文)とどの段落(文)が反対か」「どの段落(文)が主張で、どの段落(文)が主張の根拠か」等を、最初の問いに至るまでに把握しておくことが論理的文章でのPlanであり“航海術”なのです。

4.文章読解力の基盤となる言語知識については、どう学べばよいのでしょう?

言語感覚、語彙ストーリー、脳内ネットワークによる記憶

 「普通名詞」や「固有名詞」は、最悪はビジュアルからでも認知できますが、「平和」「愛」「友情」「勇気」等の「抽象名詞」、また「用言」(五感を伴う「形容詞」や「動詞」、「心情語」も)はやはり幼い頃からの直接的な言語体験に、情緒体験を含めてですが、依存します。

 なぜなら、五感で「スキーマ」(図式、枠組み)を形成していくことを核に、後者の言葉は組織化されていくからです。また読書は、言語的に間接・代行体験となる上、知識や教養を主体的に学ぶためにも欠かせない体験ですので、強くお勧めします。

 読書を含めた諸経験を通じて、「心的辞書」(メンタル・レキシコン)が言葉の背景をつかみにかかりますので、スキーマを働かせる機会が増加し、結果的に言語感覚が磨かれていきます。

 また、語彙の学習ということでは、言葉学習のための「選定語彙」だけでなく、素材文中の「作品語彙」からも学習する必要があります。そして、鋭い言語感覚を磨き心的辞書内に高度な検索ネットワークを敷設するには、語彙を単純理解・記憶するのではなく、機能的に、さらに体系的にも学び、一方向だけでなくそれにヨコ串を刺すように学ばないといけません。

 一つには、和語・洋語・漢語を問わず、反対語・同義語で整理し、語彙ネットワークを縦横に拡張することです。たとえば、「とりつく島もない」という成句を学習する時には、「にべもない」「すげない」「つれない」「そっけない」「木で鼻をくくる」「けんもほろろ」、といった語句をセットで学習するようにし、相互の語句における学習機会度をシステム的にあげていくのです。

 もう一つは、記憶のメカニズムに注目し、ストーリー記憶とすることにより、長期記憶化することです。慣用句やことわざなどを語源とともに学ぶのがこの方法です。一例をあげますと、「立錐の余地がない」の「錐」は「きり」で、「錐を立てるほどのすきまもない」ということなので、「わずかなすきまもない」という意味なのだというように、ストーリー化して記憶していくのです。以上の2つの方法をクロスさせて学ぶとよいと思います。

 なお、大脳生理学の最新研究によりますと、脳は記憶のインプット以上にアウトプットを重視しているようです。あるテストで間違った問題を再学習する場合、やり直し自体は間違った問題だけでよいのですが、1週間後の再テストの際にはその問題だけよりも全問実施した方がより記憶に定着するのだそうです。つまり、記憶するには「テストすること(出力すること)が必要不可欠であるということです。こういう知見も生かしながら、語句などの知識学習は進めたいものです。

5.国語の得点を、さらに伸ばしていくにはどうすればよいでしょう?

読書は“道徳教育”であり、また知らない世界や価値にふれること

図3
 読書の効用について申し上げます。まず、左の図をご覧ください。これを見て「立方体」と答える人は、実は右の図のように点線を自分で補って、見えない裏側を含めた「全体像」(ゲシュタルト)を作り上げているのです。もしそうでないなら、左図を見て「九本の線」と答える人がいても不思議ではありません。

 情報の受容者は、限られた情報から全体像を作り上げる。読者は作者からヒントをもらい、自分なりに全体像を作り上げていく――このような考え方を「ゲシュタルト心理学」と言います。そして、「既知」の物語から全体像を作り上げるのがスキーマです。読書をする最大の効用は、このスキーマが働きやすくなることなのです。

 『中学入試国語のルール』や『国語教科書の思想』の石原千秋氏は、著書を通じてこう述べられています。戦後の学校教育は子どもたちの人格形成を使命の一つとしていて、現在その役割を担っているのが「国語」である。教育はソフトなイデオロギー装置であり、国語教育とはつまるところ“道徳教育”である、と。

 私見ではありますが、道徳や宗教などの教育機会が乏しい中、東日本大震災の際に見せた、日本人の礼儀正しい振る舞い等は、実はこうした隠れた“道徳教育”が大きく寄与しているのではないかとも思われます。

 ともあれ、物語文においては“道徳”に関係する主題が多いのです。特に受験を含めた学校という教育空間では、結末での収束(予定調和、期待の地平)に向けて、読解スキーマを働かすことができれば、物語文の理解を進める上で大きなアドバンテージとなります。

 たとえば「友情」が描かれた物語では、文章全体を通じて「友だちを大切にしよう」というメッセージが読者に語りかけられているはずです。つまり、このテーマは何を語ろうとしているのかに気づけば、物語を先回りして読むことができますし、求められる解答の方向性もわかります。同時に、情的側面における反応形成にも大きく寄与します。

 根源的には、読書というものは他人の人生を追体験できる唯一の機会です。そして、さまざまな他者、知らなかった人生観・価値観・世界観に触れることが人間を豊かにするのです。

 また、論説文においては、大きく言えば「世界」や「人間」、また「私」といったものが文章のテーマになっています。そして、他者の意見・知識が自己の判断の血肉となっていきます。読書はこのような意味でも効果あるものなのです。

 代表的な論説テーマにおいて何がどのように論述されることが多いかを知っていることは、読解を助けることでしょう。また、大人びた興味や関心があるかどうかが特定テーマでの論説文理解に関わってきます。

「パワーアップノート」で具体的なメソッドを磨く

 最後に、国語学習の「P-D-C-A」についてアドバイスいたします。初めに、「Plan(計画)-Do(実行)-Check(チェック)-Act(行動)」というフレーム・ワークを紹介しましたが、実際の学習の中でオーソドックスにPlan(計画)から始められる子どもはなかなかいません。では、どうすればよいのでしょう。

 実はビジネスの場合にも似たようなことがあり、前回の取り組みで得られた成功体験・失敗体験を踏まえた「原因究明」(C)と「対策行動」(A)から、「次の計画」(P)を設定することが多くあります。つまり、そのフレーム・ワークは「P-D-C-A」ではなく「C-A-P-D」なのです。

 ここで大切なのは、各種要因の原因を抽出するCheck(チェック)、そしてそのAct(改善行動)ですが、得られた教訓を組織内全体に落とすには、標準化して一つの仕組み、行動メソッドにしなければなりません。

 これを読解の学習にあてはめてみましょう。まず、能開センターの「中学受験公開模試」や「実力テスト」なら、採点答案とともに「小問別正答率」が載った成績帳票が返却されます。間違いを闇雲にやり直しても効果的ではありませんし、すべてをやり直すような時間もありません。正答率をチェックし、自分だけ正答率が低い問題に優先的に取り組みます。

 これをもとに、「パワーアップノート」を作成します。なぜ間違えたのかのC(チェック)をして、同じ間違いをしないためにどう行動すべきか、次回のための改善行動をまとめます。それがA(行動)です。ただし、次回のP-Dで実行可能なように具体化されていることがメソッドとしての修正です。「なぜ」から「いかに」へと視点をスライドさせ、読解作業あるいは解答作業でのメソッドとして、行動レベルで具体的に修正するのです。

 そのためには、「自分の書いた解答に○と×をつけて、×のところの正解を書いただけのノート」ではなく、「なぜ」という観点で毎週毎週、思考を練成してほしいです。ここから始めてください。この段階がクリアできれば、次の段階へとコマを進めます。

 解説集を読み解いていく中で、「前の段落の内容に注意しなさい」「後に続く文との関係を考えなさい」等、正解に至るまでの思考ルートが確認できるのですが、ポイントはその「思考ルートの見落とし」ではありません。むしろ、「正解した仲間たちはそのルートがきちんとトレースできているのに、なぜ自分はできないのか」(自他の違い)というところにあります。

 「自分も必要な場所を確実トレースするためには、どのような事前了解が必要であったのか」をあぶり出すことが真のポイントなのです。ここを行動レベルで言葉にしておかないといけないのです。そうでないと、見たことのない素材文に対してD(実行)するときに、効果的に実行ができなくなります。

 ただ、ここまで来ると、自分ではC(チェック)が正しいのかどうかわからないことや、未知なる素材文に対してのA(行動)と言われてもどうしたらよいかわからない設問に出くわすこともあるでしょう。それが国語の「わからない」であり、そのときが“質問タイミング”なのです。思い立ったが吉日、すぐに担当の先生の門をたたいてください。

 以上、いろいろと述べてきましたが、「国語」を“特殊”な科目としないこと。単なる“心構え”ではなく、行動上の課題を見つけて“技術”として必要な修正を進めていくことが国語の着実な成績向上のカギです。子どもたちとともにがんばりたいと思います。