磯脇 大輔・岸和田校責任者が語る“合格指南”

記事の日付:2015/11/13

この記事は 2015年11月13日 に書かれたものです。
現在は状況が異なる可能性があります。

 

『〈ふつうの子〉が〈力のある子〉へと脱皮するプロセスに寄り添う喜び』
岸和田校責任者:磯脇 大輔

磯脇 大輔・岸和田校責任者が語る“合格指南”

〈ふつうの子〉が〈力のある子〉へと脱皮するプロセスに寄り添う喜び

磯脇 大輔

岸和田校責任者

磯脇 大輔

“能開最高の指導”を標榜する泉州エリア岸和田校の責任者に今春着任。旧難波校での指導に始まり、奈良の王寺校、河内長野校でトップ指導者・校責任者を歴任してきた経験と実績を活かす。教科は算数・理科を担当し、理科主任等を経て、現在は東大寺学園中入試プロジェクト理科担当、東大寺学園中模試理科作成を担う。鋭い観察と分析、深い洞察と思慮を踏まえた能開随一の的確かつ合理的指導で受験のみならず将来の“合格”へと導く。

能開最高レベルを誇る岸和田校指導陣の“ピッチャー返し”

初めての泉州エリア、そして岸和田校ですが、いかがですか?

磯脇 「岸和田」と言えば、何でしょう? 
そうですね、全国的に有名な「だんじり」です。毎年9月のお祭りのときには町内総出となり交通規制も敷かれて、岸和田校の授業や行事も当日はあえなく休止、振り替えての実施となります(笑)。とても“地元愛”が強い地域なのです。

 近年、全国的な少子化による教育環境の変化、価値観の多様化にともなう将来像の広がりなどもあり、子どもたちの学力の可能性を「地域を越えて」まで試してみようという気風がやや乏しくなっているように感じます。

 実はこれは岸和田あるいは泉州に限らず日本各地に当てはまる近年の傾向で、学力優秀な子どもたちがいても評価されにくくなっていますし、一方で子どもたち自身もそういう状態に満足しているというか、現状以上への挑戦心や向上心をもたない子が増えているように思いますね。大変もったいないことですし、非常に残念なことです。私はこれを泉州の地で変えていきたいと考えています。

 私は子どもたちの可能性を最大限に引き出すことに強いこだわりを持っています。それが指導のプロとして当然の使命だからです。同じようなこだわりを持つベテラン指導者ぞろいだと聞いていた岸和田校に着任した早々、それがどれほどのものであるかを確認できる機会がありました。

 全スタッフが集まっての初めての校内会議です。少し意地悪ですが、各人に「中学受験を通して子どもたちにどんなふうに育っていってほしいと考え、日々の指導をしているのか?」と、それぞれの教育にかける思いの深さを測る問いをいきなり投げかけてみました。ふだんからの心構えなくしては即答できない“剛速球”です。

 すると各人各様の表現ながら、見事に私の球を受け止め、あたり前のように真正面に打ち返してくれました。教科指導また受験指導はもちろん、それを越えて合格や進学の先を見据えた子どもたちの成長への思い、そのために例えばこんな働きかけをこれだけしているといった考えなり行動なりを明確に言葉にしてくれました。それも受付事務スタッフに至るまでです。

 率直にとても頼もしく思い、共感できました。評判どおり、指導者一人ひとりがたいへん高いレベルにあると確信できました。校責任者としての私の責任は、まずこうした岸和田校の“あたり前”、つまり良き伝統や資産を継承し、活かしていくことだとはっきりと理解できました。それから今まで、私は各スタッフと意思疎通を図りながら、岸和田校の良いところを習得することに努め続けています。

 岸和田校には新加入の中堅スタッフもいます。ベテラン指導陣には徒弟制的な濃密さでもって彼らに厳しくアドバイスとフォローを、当の中堅スタッフには私同様岸和田校の良き資産を体得するように指示しています。そして、新旧全スタッフの力を最大化させるチームワークづくりが私の役目です。

人間的魅力あふれるクラス担任と可能性を徹底追求する教科指導陣

改めて、そういう岸和田校の魅力をお教えください。

磯脇 まず、いま述べましたように能開センターでも最高レベルの指導者たちがそろっていることです。自信をもって申し上げられる能開センターの最大の特長であり魅力である「クラス担任制」ですが、この最高の指導者たちがクラス担任となり、お子さまをお預かりします。

 どの指導者も、単なる教科指導者、受験指導者の域を遥かに越えています。私に代わって校責任者を務めてもらえるくらいのレベルです。子どもたちの指導にそれだけの信条・信念をもち、責任感をもって一人ひとりを受験そして合格まで導きます。

 自然、人間的魅力にもあふれる人物ばかりであり、それぞれが個性的です。たとえば、ベテランなのに凛とした華があり、人を惹きつける先生。とても厳しいのだけど、同時にその子への深い愛情を感じさせる先生。子どもに将来の夢を語らせてしまう、まるで魔法のような話しかけをする先生…。そういう人物たちがクラス担任として責任指導します。

 一方、学習指導面では、高い合格実績を誇る岸和田校ですが、それには当然ながら“秘密”と言いますか、理由がきちんとあります。まず、毎回の授業内容を確実に身につけさせる指導の徹底です。具体的には、授業内容の理解と習得を血肉化する家庭学習の徹底フォロー、そしてそれを確かめる「確認テスト」での得点による検証です。

 これを毎回毎週くり返し、学習習慣と学習姿勢そのものを作っていきます。こうした学習の“入口”段階をしっかりと固めることがスキのない学力を築くことにつながり、最終的な“出口”である入試本番で大きく花開く岸和田校生の“力”となっていくのです。

 これだけではありません。クラス担任の役割の1つは、その子の各教科での学力を見ながらバランスよくトータルで最大の成果を上げられるよう、各教科担当者をマネジメントしていくことですが、全員がクラス担任以上のレベルの岸和田校では動きが少し異なります。

 それぞれの教科担当者が、もちろん連携を取りながらですが、より自主的に働きかけていくのです。各指導者がその子の担当教科力を最大限に伸ばしていく努力と工夫を徹底的に進めます。そして、その子が弱い教科の場合、その教科力を強い教科力に近づけることをめざします。強い教科力のラインがその子の可能性の最大化だからです。

 各指導者はそのために知恵を絞ります。志望校の入試問題分析から逆算するような“逆転の発想”などもあるでしょう。結果として、各指導者によるこういった指導の総和が子どもたちの中にある何かを起動させ、入試での岸和田校生の“奇跡”をたびたび起こさせるエネルギーとなってきたのだと思います。

 実は、私の指導ポリシーも同じなのです。担当している教科、特にそれがその子の弱点となっている教科であれば、私はなおさら指導に力を注いできました。その子の可能性を最大化させ、最高のところで花ひらかせる。これが私の、そして岸和田校指導陣の合言葉です。

子どもたちの可能性を信じ、専門家としてベストを尽くす

小学生のお子さまをお持ちの保護者の方へアドバイスをお願いします。

磯脇 3つ申し上げます。1つは、お子さまの可能性を信じてあげることです。手前みそですが、受験生となった岸和田校の6年生は優秀です。ですが、能開センターに入会したときからそうだったかと言いますと、実はそうではありません。

 能開センター全体の指導状況をチェックする内部資料の1つに、全クラスの月次成績ランキングデータがあります。その過去数年の推移を見ますと、3・4年のころは比較的低位だった岸和田校の各クラスの順位が年月を追うごとに上昇していきます。クラス単位からですが、入会当初は“ふつう”だった子がしだいに力をつけていく様子がよくわかるのです。可能性の開花です。

 初めに、岸和田あるいは泉州は地元愛が強い地域だと申しました。それ自体は素晴らしいことなのですが、私が危惧するのは「地元を離れないこと」を前提にお考えになるあまり、チャレンジすれば得られる可能性をあらかじめ排除してしまうことです。私からの提案ですが、「東京でもアメリカでも行って、力をつけろ。その上で地元に戻ってこい」(笑)、とお考えになればいかがでしょうか。

 泉州地域の方々はご自分のお子さまを過小評価されていると私には思えます。まず、お子さまの可能性を信じてあげることです。「この子はこうだ」と決めつめるのは、もったいないどころか、お子さまの可能性の芽を摘むことにもなりかねません。

 2つ目に、お子さまの可能性について専門家の意見に耳を傾けていただきたいということです。これからの時代、保護者の方の先見力がお子さまの未来を左右する大きなカギとなってきます。ご存じの通り、2020年ごろから大学入試制度の大改革が予定されています。これに象徴されますように、いま社会で必要とされる人材の質が大きく変わり始めているのです。

 もとより「未来を見る」ことは至難です。だから、保護者の方がご自分たちの考えや見方“だけ”でお子さまの進むべき道を判断されることはたいへん危ういことなのです。お子さまの潜在的な適性をあらゆる可能性から試し、将来に向けてより多くの選択肢を持てるよう、できるだけ多くの専門家たちの意見に耳を傾けるべきだと思います。専門家たちはある特化した観点から子どもたちの差異を捉えます。すなわち適性を見抜くのです。

 保護者の方の役割は、お子さまがそんな専門家たちに接する機会をできるだけ多く作ってあげることです。そして可能性を試してあげることです。そうした可能性の1つに「学力」もあります。私たち能開センターはその面での専門家です。だからこそ、私たちはお預かりした子たちの秘められた可能性を見つけ、そしてそれを最大限伸ばすことに全力を尽くすのです。

子どもが正しく大人になるための、大人と“人格的”に触れあえる場

磯脇 3つ目に、お子さまが大人と“人格的”に触れあえるようにしてあげることです。「人間関係が希薄な時代」と言われていますが、今後はさらに「人格と触れあわない時代」がやって来るでしょう。ネット社会となり、すでに情報や知識だけなら、学校へ行かないで人を介さないで自宅で学習可能な時代です。

 だからこそ、子ども時代に多くの大人と人格的に触れあうことが何事にも代えがたく大切なのです。それは、子ども同士、また単なる「子ども・大人」関係の中では決して気づけない、“一人の人として”大人の考え方や価値観に直にしっかりと触れるということです。これはお子さまの人間としての可能性を開くことにつながります。

 子どもたちが日常的に接する大人と言えば、まず保護者の方々です。しかしこの関係は第一に「子・親」で、やはり特殊なものになりがちです。少なくとも、これだけではヴァリエーション不足です。肉親以外に、やはり“他人”が必要です。

 ですが“通りすがり”のような関わりでは、とうてい人格的な触れあいにはなりません。以前と比べ、ご近所やご親戚とのお付き合いも少なくなった現在、学校の先生方、そして習い事や学習塾などの先生たちが、子どもたちが日常的継続的に接し、人格的に触れあう可能性を持った存在として浮かび上がります。

 この場合、大人の方が問題です。子ども扱いせず、常日頃から“一人の人として”向きあい、大人である自分の考え方や価値観をしっかりと本気で伝えようとしているかどうかです。その大人の考えが正しいかどうかではありません。「自分」とは別の「他者」、ひいては「社会」の考えがあることを知り、これらを肥やしに「より正しく大人になっていく」ことが重要なのです。

 私は「子どもは子どもたちだけで育ってはいけない」と考えています。「大人に向かう道」を歩む子どもたちには、彼らに真剣に向きあい、叱ったりほめたり、大人の世界すなわち社会を語ってくれる“コーチ”がぜひとも必要なのです。そしてそうすることが大人の役目であり責任です。

 実は、能開センターのクラス担任は、いま述べてきた「人格的に触れあう大人」の一人であることを自覚しています。「学力」を支えているのは「生活力」(学習姿勢・習慣、生きる力)だと考えるのが能開センターです。クラス担任は、人として夢を語り励まし、時には子どもたちの生き方にまで切り込んで学習姿勢を改善するよう大人として対峙します。

 前に、個性的な指導者として「子どもに将来の夢を語らせてしまう、まるで魔法のような話しかけをする先生」を紹介しましたが、子どもたちに「政治家になりたい」「公認会計士になりたい」と言わせてしまうのは、その先生の話が子どもたちにそんな職業社会人について明確なイメージを結ばせたが故のことだと思います。

 能開センターは、子どもたちにとってこういう“大人と人格的に触れあう場”でもあるのです。

“学習主治医”として学習姿勢・習慣を診断し学習体質を改善治療

先生の指導についてお聞かせください。

磯脇 私は自分が子どもたちにとっての“学習主治医”のような存在でありたいと考えています。入会から受験までの中長期の展望に立って、学習“体質”作り、体質改善への導き、そして必要な治療を行います。ヒトとして同じ構造や機能を備えているにもかかわらず、それぞれ個性や適性があるのが人間です。

 その違いを生んでいるのは生活姿勢であり生活習慣です。学習で言えば、学習姿勢であり学習習慣です。私はこれに働きかけることが最重要だと考えていますので、「現時点での得点」よりも「将来の得点」をめざし、つまり目先のアウトプットにこだわらず、その子に最適の学習体質作りや体質改善に力をまず注ぎます。

 そもそも、ヒトの脳の能力に大差はありません。また、子どもたちが学ぶ各教科は客観的に平等なものです。誰かにだけ有利や不利だというものではありません。なのに、「好き」「嫌い」があるのはなぜなのでしょう? 原因は個々の子どもの“状況”にあるわけです。

 食べ物で考えてみるとよくわかると思います。「好きな食べ物」「嫌いな食べ物」は生まれつきというものもあるでしょうが、大半はそれぞれの食生活姿勢、食生活習慣から生まれています。「好きなこと」「嫌いなこと」というのも同様なのです。

 もちろん、姿勢や習慣を変えるというのは、本人にとってつらく難しいものです。それは「生き方」を変えることだからです。生活の姿勢や習慣がその人を作っています。「どんな人間なのか」とは、実はどんな生活姿勢や習慣を持っている人なのかということなのです。

 そういう「生きる力」に乗っかった学習姿勢や学習習慣ですので、それを変えると言いましてもすべてをガラッと変わられるわけではありません。その子に最適になるように、長所は大いに伸ばし、改善すべきは改善していくわけです。また、学習の段階や時期、タイミングということもあります。

 学習の前半段階なら、長所を伸ばし、良き姿勢・習慣づくり、体質づくりや体質改善に重点を置きます。後半の5・6年生になればスケジュールを考慮しながら、いま獲得している学習姿勢・習慣に合致した学習指導にも変えていきます。また、短所に対しては必要な治療を施していきます。

正しい学習姿勢や習慣を身につけながら、のびのびと長所を伸ばす

磯脇 順を追って申し上げます。ただし、残念ながら今年度は直接授業を担当していない学年もありますので、あらかじめお断りしておきます。

 3・4年生段階では学習自体が好きになる楽しい授業・指導を第一に心がけます。子どもたちが家に帰ったら、家族の方に思わず話したくなるような楽しい授業が私の目標です。時にはご家族がきっとご存じでないだろう知識も盛り込みます(笑)。ご家族にもご理解いただき、学習を周りから盛り上げてもらうことがねらいなのです。

 算数なら、「1kg=1000g」など「キロ・ミリ」の単位理解、小数点以下の0は残さないこと、割り算の筆算は横着しないでていねいに1けたごと書き下ろすことなど、今後の基礎となる概念やスキルを、掛け声やリズム、身近なたとえなども駆使しながら、子どもたちが楽しく学び、記憶に深く刻み、家でも話してくれるように(笑)工夫しています。

 理科では、同じ楽しい授業でも、子どもたちの予想を裏切って驚かせ、「なぜ」という気持ちで惹きつけます。たとえば「ミジンコには目が1つしかない」。これは本当のことで、左右の目が1つにくっついてしまったのです。こんな話に子どもたちは興味津津です。

 ですが、自然世界に特別なことはないのです。生物は環境に適応して進化します。ミジンコの場合、扁平な体に応じてこうなったのです。「目は2つ」という人間の勝手な“常識”が思い込みを生んでいただけのことです。

 理科は驚きや疑問から始まりますが、最後は自然世界の普遍性に納得したり、その素晴らしさに感動したりして終わります。これが科学の奥深さであり面白さです。まず、それをしっかりと伝えたいと思って授業しています。

 こうして前半段階では、授業をしっかりと受けること、きちんと家庭学習することを通して、正しい学習姿勢や習慣を身につけながら、のびのびと長所を伸ばしてもらうことに重点を置いた指導を進めます。

学習・生活姿勢を「西洋医学」と「東洋医学」で改善治療

磯脇 受験に向けての後半は、子どもたちの長所とともに短所を見つめていく段階です。特に入試で“急所”となってしまう短所には一人ひとり適切な治療を施さなければなりません。いくつか、症例と対策をお話ししましょう。

 たとえば、算数の図形が苦手な子がいます。家庭学習をしっかりやれば克服できるのか? もし単に「図形が嫌い」「めんどうくさい」といった理由からなら、そうかもしれません。ですが、もし「何から手をつけてよいのかわからない」という原因からなら、別対策が必要です。

 私はこういうケースなら、「自分の手を使い図形を描くこと」から始めさせます。図形に現実感をもって関わる経験量が足りないのです。「円には必ず中心点を打つ」「線分に比に応じた区切り線を入れる」など、図形問題に接した際のこと細かい手順を、自分の手を使ってくり返しさせます。これは図形に対する学習姿勢づくりです。

 結果つまり点数ですが、もちろんすぐには出ません。学習姿勢ができるまでに3カ月あるいは半年かかります。でも結果に出るまでやり続けることが大事なのです。結果は必ず出ます。それまでくじけないよう、できたことをほめ続けることがポイントですね(笑)。

 算数の問題文をしっかり読み取れない子がいます。そのテーマは理解できていて解けるはずなのですが、文章の言い回し、表現が変わると、もうダメなのです。あるいは、書いてあることをすぐに読み飛ばしてしまう、という子もいます。こんな子たちには「新聞コラムの書写」を課します。書き写しです。1文字1文字を目で追い、手で書く。これが効きます。やがてしっかりと読み取れるようになります。

 また、クラス担任としての指導になりますが、教科を越えた課題を持つ子がいます。たとえば、6年生になって成績が停滞してしまった子。この子の場合、周囲の友だちが言うことをまったく受け容れないという状況がありました。心の視野が広がらず、コミュニケーションに不自由が生じていたのです。

 この子には「3行日記」を課しました。毎日の出来事を、そのときその人はどう思ったかを中心に書きます。人の気持ちを考えさせる、他人の心を察する訓練です。「自分」だけが先行し、ヨコの「他者」への広がりが極端に弱い状態だったのです。この訓練を続けていきますと精神年齢が上がり、周りの人が何を言いたいのかが理解できるようになります。

 こんな子もいました。授業をしっかり受けている子で、その証拠にノートを見てもきちんと取れています。家庭学習もちゃんとできています。なのに、テストになるとできない。学んだことをきれいさっぱりと忘れてしまうのです。そのときは確かに理解できていた、でもそれで、その子には「すべて終了」なのです。これは“先を見る力”が弱いと診断しました。

 そこで、この子には“過去”を思い出して書く「3行日記」を課しました。2~3日前の出来事を思い出して書く。そのためには先を見て、日記を書くために覚えておくことが必要となるというわけです。先ほどの「ヨコ・空間」に対して、これは「タテ・時間」を広げる訓練になります。

 あとの2事例は学習姿勢・習慣にとどまらず、生活姿勢・習慣、生きる力に関わるものです。こういう「生活指導」まで行うのがクラス担任なのです。各教科担当者が教科面中心にずばりピンポイントで対処療法的にアプローチするのが「西洋医学」の手法だとすると、教科を越えたクラス担任の役割は漢方薬を用いて時間をかけて治療する「東洋医学」にたとえられます。

受験は子どもの可能性を大きく広げ伸ばす、またとないチャンス

最後に入試への決意、またメッセージをお願いします。

磯脇 入試が近づいてまいりました。入試は子どもたちにとり「締切日」であり「通過点」です。「締切日」とは言うまでもなく、作家が原稿を出さなければならない期限のように、「もう少し時間があれば」は許されず、その日に最高の成果を上げなければならないということです。「通過点」とは、志望校合格が最終ゴールではなく、その先にこそ自分の未来があるということです。

 私たちは、その「締切日」までに子どもたちに最高の受験生になってもらい、最高の成果を上げてもらわなければなりません。同時に「通過点」を境に、子どもたちは能開センターを卒業し、新しい世界に入っていきます。その先の「自立」の道に向けての準備もやり尽くさなければなりません。

 私たちはこの両方のために全力で指導を行っています。志望校合格と、その先に活きる学力、そして生きる力は決して別物ではありません。述べてきましたように、「得点力」は「学力」に、「学力」は「生活力」に支えられているのです。

 「志望校合格」に向けては、私は二段構えで考えています。まず能開センターがシステムや組織として進める志望校合格です。岸和田校でのゼミ指導に加え、一定基準の選抜になりますが、灘・東大寺学園・大阪星光学院・四天王寺中など志望校別の入試プロジェクトが力強く稼動しています。

 しかし一方、力がなかなか成績には表れずそこからはもれているけれど、十分に可能性を秘めた子どもたちもいます。子どもたちは入試当日まで、さらに入試期間中にも成長していきます。もちろん、そのためにはそのときに芽吹く“種”が必要ですが。

 私はこういう子たち、ボーダーぎりぎりの子たちの合格にこそこだわります。私は最後まで決してあきらめません。こんな子たちに入試当日花開く“種”をまき続け、可能性を最大化させ、みごと大輪の花を咲かせてあげたいと思います。

 受験は、子どもたちにとって自分の可能性を大きく広げ伸ばす、またとないチャンスです。受験を通して〈ふつうの子〉が〈力のある子〉へと脱皮していきます。私はそのプロセスに寄り添うことに喜びとやりがいを感じています。

 どうか、ご自分のお子さまを決めつけないでください。お子さまを信じて、その可能性を最大限伸ばしてあげて、最高の未来をつかませてあげてください。

ありがとうございました。