貫野 貴義・河内長野校責任者が語る“合格指南”
この記事は 2015年07月01日 に書かれたものです。
現在は状況が異なる可能性があります。
『地域の枠を超えてチャレンジし夢を実現できる子を育てたい』
河内長野校責任者:貫野 貴義
念願かない校責任者として改めて感じるやりがいと重責
校責任者就任おめでとうございます。いかがですか?
貫野 ありがとうございます、ようやく念願がかないました(笑)。能開センターで教鞭をとって以来、より責任をもった仕事がしたかったのです。自分が担当のクラスだけでなく、ほかのクラスを含めた学年全体、さらに校に通う子どもたち全員に関わりたいとずっと思ってきましたから。
初めは参加できる会議にも限りがありまして、自分が入れない会議に参加できる人たちをうらやましくも思いました。年を経て、その関門は突破できたのですが、もっともっと責任をもった立場でやりたいという思いは変わらずにありました。
昨年、ようやく私にもお鉢が回ってきまして、副校責任者に就けていただきました。でも、ひそかに思っていたのです、次は校責任者になってやるぞと(笑)。
校責任者になって、実務オペレーションは比較的スムーズにこなせています。昨年、副校責任者の立場で、いわば校責任者の見習いとしていろいろな経験を積ませていただいたおかげだと思います。しかし当然ながら、校責任者という立場になってみなければわからなかったこともたくさんあります。
特に、最後の決断、校責任者として自分の後ろにはもう誰もいないという立場で下さなければならない判断は初めてのことであり、それには大きなやりがいを感じると同時に、やはり重責をひしひしと感じています。諸先輩のご苦労と自分の未熟さを知り、少しずつでも着実に前進していかなければとの思いを強くしています。
自分の秘められた力、その可能性にチャレンジしてほしい
河内長野校責任者としての思いをお聞かせください。
貫野 まず力を入れていきたいのは、河内長野校の教育指導、教育サービスのいっそうの充実です。そうして地域の教育ニーズに誠実にお応えしていきたいと思います。
保護者の方が、いいえ、当のお子さま本人さえまだ気づいていない「学びたい」という気持ちがあると思うのですよ。「もっと知りたい」という知的好奇心、「チャレンジしてみたい」という向上心はどの子にもあります。それに気づくきっかけの場に、能開センター河内長野校がなれればと願っています。
この地域には力のある子がたくさんいます。そんな子たちが能開センターとの出会いをきっかけに自分に秘められた力があることに目覚め、中学受験を通してその力を開花させ、ぐんぐん伸ばしていってもらいたいのです。
能開センターの指導は志望校合格をめざすことはもちろんですが、それだけではありません。現状に安易に満足せず、さらにその上をめざすことによって自分自身の可能性にチャレンジし、自分の能力を最大限に引き出していくことこそが真の目的なのです。
地域の枠を超えて、兵庫県の灘、奈良県の東大寺学園や西大和学園といった難関中学の合格をめざす意義もここにあります。実際、この河内長野校の子どもたちは毎年これらの難関中学に挑戦し、輝かしい成果を上げてくれています。
入試の合否の結果は当然重要ですが、しかしながら実は最重要ではありません。なぜなら、中学入試は通過点であり、学業としての最終目標は大学進学にあるからです。
むしろ問題は進学した中学校・高校でどう過ごせるかです。それはどれだけの準備をして入学したかによって大いに異なってきます。
その準備というのは、中学受験学習で身につけた正しい学習姿勢や基礎学力の豊かさです。こういった、どこで学ぶにしても絶対に必要で変わらぬ力を、中学受験を通じてしっかりと身につけることが最重要なのだということです。
ですから、一回切りの入試で不運にも第一志望校には不合格となった場合でも、最大限の努力をして自分の磨くべき力を磨いておくことが本当にできていれば、悔しい思いをした分も6年後の大学受験では必ずリカバーできると、これまでの能開卒業生たちを見ても明言できます。
もちろん、子どもたちにとって、大学受験や学業も人生の最終目標ではありません。私たちの願いも、その先の社会のさまざまな分野でリーダーとして活躍できる人になってもらうことです。
だからこそ、単なる知識ではなく、意欲などを含めた、その後に活かせる総合的なまた普遍的な能力を持つ人として自身を磨いていってほしいと思うわけです。
いま中1以下の子どもたちが立ち向かう新大学入試とは
大学入試制度の大改革が予定されるなど、教育環境は変化しています。私立中学進学をどう考えればいいですか?
貫野 新しい大学入試は2020年度(2021年初)から始まります。ちょうど、21世紀前半の日本にとっての一大ページェントとなる東京オリンピックの翌年ですが、今年中学1年生である子どもたちがその第一期生ということになります。
彼らはまず、新大学入試に先立つ高校2年のときに、初実施となる「高等学校基礎学力テスト(仮称)」を受けます。これは高校段階での学力を評価する新共通学力テストです。
そして、「大学入学希望者評価テスト(仮称)」では、いまの教科・科目別の出題、選択肢解答方式から、合教科・科目型や総合型での出題、記述解答方式に替わります。そのあと大学ごとの個別選抜試験を受けて各大学に進学する、という3ステップを踏むことになります。
中でも注目されるのが「大学入学希望者評価テスト」で、知識を単独に評価するのではなく「思考力・判断力・表現力」を測るため、教科・科目を横断・複合させた、あるいは総合的に活用する能力が要求される、たとえばPISAを参考にしたような問題が記述解答方式で出題される見込みです。
また、英語力評価についても相当強化され、これらが実現しますと、これまでとは全く違う入試になるといえます。
入試改革のねらいは大学教育の質的転換あるいはレベルアップであるとともに、「高大接続」のもう一端である高校教育の改革にもあります。また同時に、すでに小中学校で始まっている「確かな学力」の育成をめざした教育との接続でもあります。
今後の日本の教育の全体はこの新たなラインに沿って進められていくことになります。
現大学入試はもちろん、新大学入試にも先進対応の私立校
貫野 そういう中で、中高6年一貫の私立校の最大の特長は、一般の公立校では高校受験で分断されてしまう中学・高校での学習内容を合理的な流れと配分で学んでいけるということにあります。
加えて、6年間の教育の成果が常に学校評価に直結していますので、出口となる大学受験の実績のみならず、その教育の質についても厳しい圧力が働いています。
そのこともあり、文部科学省のいう「思考力・判断力・表現力」の育成、あるいはPISA型の能力向上に早くから熱心に取り組んできたのは私立校です。
ですから、今回の大学入試改革への対応に関する能開センターが行ったアンケートに対しましても、まず「従来の本校の教育を進めてまいります」という趣旨の回答がほとんどを占めました。
実際、中学入試の問題にも総合型の問題があります。また、私立校での取り組みなどを見ますと、『思考力・判断力・表現力』を鍛えるための取り組みや授業が非常に進んでいます。より重視される英語教育につきましても、先進の方法と内容が授業に取り入れられ、新傾向に対応しているのが私立校です。
このようなわけで、大学入試改革が大きな問題になっている昨今、改めて私立校のアドバンテージを実感しますし、今だからこそいっそう私立中学進学をお勧めしたいなと私は考えますね。
少しでも中学受験にご関心をお持ちなら、まずこれに関する正しい知識をご自身で持たれることです。人づてに仕入れられた責任所在のあいまいな情報による誤解や思い込みで判断をされてはいけません。
あいにくほぼ終了しましたが、能開センターではこの6月から7月にかけても、各私立中学校の責任あるお立場の先生方をお招きし、「私立中学教育講演会」と題して、それぞれの私立校での教育の方針や特色を、新大学入試に対しての取り組みなども含めてお話しいただいてきました。
秋にも「近畿私立中学入試セミナー」として、来春入試予定を含めたお話を各私学の先生方からいただきます。保護者の方どなたでもご参加可能ですので、ぜひお運びになることをお勧めします。
また、能開センターでは毎年、夏前や秋に「教育フォーラム」という形で中学受験や家庭教育についてご説明やご提案を行っています。
さまざまなテーマを採り上げていますが、この夏の河内長野校では「男子校に学ぶ男の子の育て方」「女子校に学ぶ女の子の育て方」などのテーマで実施いたしております。
秋にも行い、こちらもどなたでもご参加いただけます。能開ホームページでお知らせしますので、ぜひお越しください。
点数や効率だけを求めるやり方では真の教育とはならない
中学受験をお考えのご家庭へアドバイスをお願いします。
貫野 教育フォーラムでもよくお話しすることなのですが、近頃気になっていることで、教育に熱心なご家庭だからこそありがちなことを少し申し上げます。
それはお子さまに失敗させたがらない保護者の方が増えているということです。
これはなぜそうなるのかといいますと、お子さまや教育について、ゆとりを持てなくて近視眼になっておられるからではないかと思います。
成功と失敗は二者択一のものではありません。失敗の中から学び、次に成功することが成長というものです。安直に手助けしての成功にはこの成長の契機がありません。
子どもにとって、失敗はとても大事なことなのです。目の前のことでなく成長こそが目的なのですから、近視眼になってはいけません。それでは成長の芽を摘んでしまいます。心にゆとりを持って子どもの成長を待つ、そんな少し先を見据えた対応をしていくことが肝心なのです。
たとえば、お子さまがあるテストの結果を持って帰ってきたとします。そんなとき、どうしても目の前の数字だけに目と心がゆきがちですね。悪い点数なら叱ってしまうかもしれません。
しかしこれでは叱られないために勉強する、つまり自分のためにではなく保護者のために勉強するという動機づけをしていることになるのです。
冷静に考えてみましょう。結果にあれこれ言っても意味がありません。大事なのはこのテストの結果からわかったことをどう活かすかですよね。それができるのは本人だけであり、自分の課題なのだということを自覚することが出発点です。
それに、数字には表れていなくてもテスト結果にはお子さまの努力の跡もきっとあるはずです。まずはそれを見つけてほめてあげ、自分が出した結果であることを確認してあげることから始められるのがよいかと思います。
一方、お子さまの側のことで気になるのは、世の中が便利になってそれが当たり前になり、ある種の過保護のせいといえましょうか、効率だけを求めるようなやり方へ、楽な方、楽な方へと気持ちも行動も流れていっているように思います。
その結果、人間の芯がどんどん細くなっていくようで心配でなりませんね。
学習面に限りません。失敗を恐れず真正面からぶつかっていくような経験が必要です。試行錯誤を重ね、失敗し傷つきながらでしか得られない成功や成長もあるのです。
目の前の小さな成功だけで満足している、ただ効率を追い求める学習や行動ばかりでは、将来の人生のために真の糧となる教育にはならないでしょう。時には非効率と思えるような、がむしゃらな努力の積み重ねも必要なのです。
中学受験をお考えなら、その受験学習のプロセス全体を通じて、納得のいく受験結果とともに、将来の人生のためにも多くを学べるような体験にしていただきたいと心より願っております。能開センターがご支援できることがあります。何なりとご相談ください。
読み取り手順をいっしょにたどり最先端科目をマスター
教科は国語を担当ということですが、どのような指導をされているのでしょうか?
貫野 私は現在、河内長野校で開講している全学年のクラスに関わっていまして、直接には新入会の子たちが多くいるクラスで国語を担当しています。
国語はそれ自体が主要科目であるばかりではなく、ほかの科目においても理解の基礎となる基盤科目です。よく言われますように、算数でも国語力がないと、長い設問文が読み取れないというようなことになりかねません。
国語というのは易しくて難しい科目です。易しいというのは、対象がふだん何不自由なく使っている日本語であるということです。難しいというのは、にもかかわらず、漢字や語句を含めて文章としての日本語をもっぱら扱い、その文章には読み方というものがあり、それをしっかりと学ぶ必要があるということです。また、内容自体の難しさもあります。
国語を苦手とする子どもたちに必ずといってよいほどあるのは、文章はなんとなく理解できるものだという思い込みです。こんな無手勝流では、文章が読めなくて当然です。しかし、読み方を学んでいけばだれでも読めるようになっていくのも国語なのです。
私は能開センターにせっかく入会してくれた子たちに国語を得意になってもらうため、できるだけ具体的でていねいな指導を心がけています。実際的には、文章の読み方、問題の解き方の手順を1つ1ついっしょにたどるようにしています。
文章を読んでいき、理解すべき語彙では立ち止まり、その意味や用法を確認します。読み取りでのキーワードとなる語句や部分については線を引きます。
必要に応じてそこから抜き出しながら、物語文なら場面の変化、登場人物と心情など、説明・論説文ならテーマと具体例、因果や対比表現などを私は黒板に、子どもたちは自分のノートにまとめていきます。
説明・論説文の難しさはたいてい知識の難しさで、その意味ではわかりやすいものです。
一方、物語文の難しさは少しわかりにくいのです。そのポイントは大人の思考や感情を理解することにあります。子どもが自然体で読んでいれば、見えてこないのがこの部分です。物語の中の主人公は子どもでも、その父の怒りや母の悲しさを大人の立場で読み取ることが要求されるのです。
こういう読み取りも子どもたちと言葉のキャッチボールをしながら、いっしょにたどっていきます。
たとえば、まず物語の中の子どもの目線から母を見上げ、言葉を受け止めて、その子どもの気持ちを確かめます。次に母の立場になって、物語の前後をたどります。どうして母はわが子にその言葉を言い、あるいはそんな行動をとったのかを考えます。
母の気持ちが理解できたとき、子どもたちの表情が確かに変化します。中には、自分の興味がふくらみ、物語の続きが読みたいと言い出す子も。そんなとき、国語を教える者として深い醍醐味を感じますね(笑)。
国語は「最先端科目」なのです。
たとえば、入試問題を見てください。もちろん中には以前に書かれた文章もありますが、多くは現代の社会問題や親子関係など、いま世の中で起こっていることについて、いま生きている人たちが書いた文章です。
特に、たとえ物語とはいえ、いま自分たちと同じように生きている子どもたちが登場する科目なんてほかにありません。
算数や理科で学ぶのはすでに世の中に定着した、いわば古い学問や科学知識です。次のためにまず先人の知恵を学ぶ必要があるのですが、大学で学ぶような最先端の内容ではありません。同様に社会で学ぶ地理や歴史も、すでに見方や評価が定まった知識だといえます。
それらに対して、国語で採り上げられる文章は今も変化しつつあるさまざまな意見や物語そのものなのです。この魅力を肌身で感じながら、もっともっと国語を楽しんで好きになっていってほしいなと思っています。
人間力あふれる子どもたちこそ河内長野校の宝
最後に河内長野校の魅力についてお聞かせください。
貫野 能開センターの中学受験合格カリキュラム、「大全」テキストなど充実の教材、公開模試などのテストと的確な評価システム、またゼミと特訓のダイナミックな講座ループなどを前提としますが、河内長野校の魅力は、ずばり人です。
そういう意味で校責任者である私の役割は、魅力あるスタッフがより力を発揮しやすい校環境をつくり、会員生の子どもたちと保護者の方々のために活躍しやすいように、また地域の方々に能開センターと河内長野校の魅力を知ってもらえるようにしていくことだと考えています。
そのための基本は日々の情報共有であり、モチベーションとモラルのアップです。スタッフ一人ひとりの充実があってこそ、子どもたち一人ひとりの充実もあります。
毎日、課題をすばやく残さずくみ上げ、適正・迅速な問題解決に当たります。問題意識を共有し、一人の子どものことを校全体で考え、解決していきます。
河内長野校スタッフ一人ひとりがそう考え、行動できるようにしていきたいと思います。
河内長野校の魅力は人だと申しましたが、これに重要な付け加えをしなければなりません。
いま河内長野校に通ってくれている子どもたちこそ、河内長野校の宝なのです。
学力そのものは言うまでもなく、あいさつができ、そうじができ、礼儀をわきまえていて、学習姿勢にすぐれ、チャレンジ精神をもっているのが河内長野校の子どもたちです。
世の中の流行は変わっても、変わらない価値があります。
それは人としての力、人間力です。
能開センターは、そして河内長野校は中学受験を通して、教育の原点である、そういう人づくりに邁進したいと考えます。
そして磨いた学力と育んだ人間力で失敗を恐れずチャレンジし、自分の夢を実現できる子になっていってほしいと願います。
私は、卒業後も「自分は能開生だ」と胸を張って言える子を送り出す責任を痛感しています。やがて巣立っていく子どもたちに、その保護者の方に、能開卒業生を迎える学校に、そして社会に対してです。
そのためにも単なる知識ではなく自ら使える学力、そして人としての力をつけてあげたいと思います。
先日、私のフェイスブックに1件の「メッセージ」が届きました。6年前の一人の卒業生からでした。
ある国立大学に進学を果たし、ふと私を思い出してフェイスブックで見つけてくれたようです。彼の中学受験のことを思い起こしました。当時、彼としては決して満足のゆく結果ではなかったのではないかと思います。
しかしいまその思いも昇華できる進学を果たせたのだと思います。私の方から「ありがとうございました」と言いました。
こんなすばらしい宝物に出会える仕事を選んで本当に良かったと思える瞬間でした。教師冥利に尽きます。
私は決して器用な方ではありません。ですが、これからも人を育てる責任ある仕事であるということを忘れずに、まず私自身が失敗を恐れずチャレンジし続けていきたいと思います。
こんな私を、河内長野校を、能開センターをぜひご覧にお越しください。お待ちしております。
ありがとうございました。
河内長野校責任者
貫野 貴義
教育・指導に関心を抱き、能開センター泉佐野校で初めて教鞭をとる。その後、和泉府中校や河内長野校で進学指導、教育サービス向上に全力で取り組む。そのアグレッシブな姿勢と努力が買われ、昨年、河内長野校の副校責任者に抜擢され、続いて今春より校責任者に就任した。「最先端科目」の国語を指導し、自分の夢に向かってチャレンジできる子どもたちを育てる。