安川 善人・理科主任が語る“合格指南”

記事の日付:2013/08/01

この記事は 2013年08月01日 に書かれたものです。
現在は状況が異なる可能性があります。

 

『中学入試合格を通してサイエンスへの知的好奇心と基礎力を育む』
理科主任:安川 善人

安川 善人・理科主任が語る“合格指南”

中学入試合格を通してサイエンスへの知的好奇心と基礎力を育む

理科主任

理科主任

安川 善人

中学受験指導を始めた当初から理科のプロフェッショナルとして活躍し、能開では和泉府中・いずみ・堺東の各校で教鞭をとる。副主任を経て、今春より理科主任に指名され、以前より取り組んできた各指導テーマにおける「より深化・進化させた考え方・解き方」を指導陣に普及させる活動をいっそう推し進める。自分が理解することと子どもたちに教えることとは別のことで、後者はむずかしいと語り、子どもたちが理解しやすい考え方・解き方の案出にも腐心する。シャイで穏やかな瞳の奥には科学への固い信念と、子どもたちへの揺るがぬ想いが映る。

“副教科”ではなく“主要科目”としての理科指導にグレードアップさせる

理科主任になって半年ほどですが、いかがですか?

安川 課題山積です(笑)。理科は算数、国語に続く、3番目の科目なのです。“主要科目”の算国に対して言うと、これまでは“副教科”扱いだったと言えるでしょう。そのせいですか、いろいろ整備が後手に回ってきた部分もあるという事情があります。

 しかし、入試で「3科受験」が普及し、また昨年には待望の「理科大全」(小6基幹教材)もリリースされ、ようやく“理科復権”への機運が高まってきました。そういう流れにおいては、「理科を“主要科目”並みにグレードアップ、つまり“進化”させる」というのが私の任務でしょうか。もしそうなら正直、「荷が重過ぎる」とも思っていますが…(笑)。

 ともあれ、今後の理科指導の「方向づけ」をしていかなくてはならない、とは強く感じています。実は2年前に私の発案で「理科指導についての研修会」を毎週行っていました。というのも、理科専門の私から見れば“副教科”扱いの理科指導に、大いに危機感を抱いていたからです。私は算数を教えられません。だからこそ、理科に強いこだわりを持っているのでしょう。

 能開の理科は「原理原則の理科」とよく言われます。問題の単なる解法テクニックではなく、少し遠回りになるかもしれませんが、子どもたちに科学の考え方そのものをしっかり理解してもらい、その問題だけでなくほかの問題にも応用できる力を身につけてもらおう、というものです。しかし当時の私の目には、それがややもするとスローガン化していて、このままではいけないと強く感じられたのです。

 毎週、テーマごと私の考え方・解き方を、恥ずかしながら皆さんに披露していきました。幸い、出席者の皆さんには良く理解してもらいましたので、その後はより深めた理科指導の実践を通じて、子どもたちには基本や原理原則をしっかりつかみ、汎用性のある考え方・解き方を学んでいってもらえているものと思っています。

 そして今回主任になって、さらなる徹底を図っています。今度は私が各エリアへ出向いて、理科指導陣に指導説明会を開いています。もちろん“反発”もありますよ。誰でも人から押しつけられるって嫌じゃないですか。でも、あとで必ず納得してもらえると信じています。それと、“反発”によって「まだまだ浸透の余地がやっぱりあったのだな」と自分で妙な得心をしています(笑)。

 言っておきますが、私個人の考え方を押しつけたいわけではありません。意見が出たテーマについては良いものを取り入れて、それが出ないテーマについては私が提示して、みんなで検討していくというやり方で進めています。改善できたテーマですが、目立ったところでは、「溶解度の計算」「てこの支点」「豆電球の回路」などについてはずいぶん整理できたのではないかなと思っています。

理科は知的好奇心で導き、場所や教科の垣根を越えて学んでいく科目

「3科受験」という言葉も出ましたが、入試理科についてはどうお考えですか?

安川 そうですね、「3科受験」の増加による、以前との大きな違い、特に難化などは感じられません。むしろ、全体的には平易になっていると思いますね。難問が減って、標準的な問題、つまり教科書や私たちのテキストで取り扱っているテーマの出題が多くなっています。

 ただし、その目先が変えてあると言いますか、一見どういうテーマなのか、より正確には「どんなモデル化を要求しているのか」がわかりにくい作りになっています。

 能開では、理科入試問題を「情報抽出」と「解法レベル」(判別・モデル化の複雑さ)という2つの機軸によって構成されたマトリックスで難易度分析するのですが、「モデル化」の前提としての「情報抽出」のむずかしさがそれです。どんな「モデル化」が要求されているかがわからないから、その関連「情報」要素が抽出できない。逆も真で、「情報抽出」できないから、「モデル化」して解けないとも言えます。

 たとえば、写真で植物名を判別させる生物の問題です。これは模式図の方がわかりやすいのです。特徴(つまり情報)が明示されているからです。でも、写真ではそれに気づきにくいのです。

 また、地学の、たとえば(大気の)対流の問題だとします。まず、問題文から問われているテーマが「対流」であると理解し、さらにこの問題を解くために必要な「解法モデル」のための「情報」をもらさず抽出し、整理していくことが必要となります。ところが、その「解法モデル」を構成する「情報」要素が文章や図表中に、整理されずに断片的な形で提示してあるのです。そんな問題が増えています。

 早い話、子どもたちにはピンと来にくい問題なのです。実は、この「ピンと来る」かどうかが理科では非常に重要です。なぜなら、この「情報抽出」能力はその子の知的好奇心と密接にリンクしていて、その好奇心が情報要素を読み取る力となっているからです。ですから、最近の理科入試の“むずかしさ”は、自然や世界への興味・関心度が試されている、とも言えますね。

 それは、科学分野に限ったことではありません。たとえば日の出の時刻に関する問題で、「東京と長崎ではどちらが早いか」という問題を解くには、当然、東京と長崎の位置関係がわかっていなければ答えられませんよね。ところが、長崎がどこにあるのか知らない子がいるのです。そのような子は地球の緯度・経度と天体現象の関係について理解はしていても、具体的な地名が出題されると対応できないことになります。

 理科の問題で取り上げられる動植物のほとんどが身の回りにあるものであるように、地名や場面も高学年であればふだんの生活の中で触れている、いわばポピュラーなものです。つまり、ふだんから身近なことに興味・関心を持っているということがポイントなのです。

 ところが子どもたちは、何でもすぐに「習ってない」という言葉でふだんから見聞きしていることでも「知らないことが当たり前」のように表現します。子どもたちは意外と、「学びは机上や教室で行うもの」「理科は理科、社会は社会」などと悪い意味で分断して考える傾向がありますね。

 もっと頭をやわらかくしてもらいたいと思います。学習に場所や機会を限定することも、教科で分けて考える必要もないのです。“ほんものの理科学習”を通じて、それを感じ取ってもらいたいですね。すべてがつながっているのが“自然”です。いろいろなことをつながりのあるものとして、とらえていくことが大事です。

 教科で言えば、その垣根を越えて考え、解いていくのが理科という科目です。たとえば、算数で解ける問題が理科で出題されています。理科の問題ではあるのですが、中身は旅人算であったり通過算だったり。「これって算数じゃん」と見切って解けばよいのに、そうだとわからず、解ける問題を残してしまう子がいますね。女子に多いのですが。それから、先ほどの「情報抽出」での、文章の読み取りという面ではやはり国語の読解力とも無関係ではないでしょう。

 このように理科という科目は“総合学”の性格を持っている教科だと言えます。こう言い直した方がよいかもしれません。日常の世界や他教科を含めて学んだ知識とスキルを使って、自然現象の成り立ちを理解したり、説明する方法を身につけたりしていく科目なのだと。そういう心構えで学んでいってほしいですね。

 以上のように、「3科受験」の普及によって、自然や世界への知的好奇心の度合い、さらにバランスの良い学習ができているかどうかが改めて問われていると言えます。

成長途上の子どもたちには概念先行ではない具体的で楽しい学びを

先生の指導のしかた、また理科学習のポイントについて教えてください。

安川 子どもたちにとって、一番わかりにくいのは“概念”です。これって、わかれば何でもないことなのですが、精神の成長によってそれが自然とわかる時期が来るまでは、理屈でいくら説明してもわかりにくいものなのです。

 ヘレン・ケラー女史が水道の水を浴びながら、ついに「水」という概念を理解する、映画の有名なシーンがありますが、「水」というのも概念です。「水」を知らない子に「水」とは何かを説明しろと言われても、むずかしいですよね。「水」にはいろいろな具体的な現れ、これを「現象」と言いますが、その具体的な現象すべてを高度に抽象化した意味内容が概念です。

 ですから、まだまだ多様な概念の形成途上にある子どもたちには、概念先行の学習ではかえってその学習への拒絶反応を引き起こすだけのことにもなりかねません。理科は先ほども申しましたが、科学の基礎学です。難解な概念が駆使・多用されています。それを子どもたちにスムーズに導入できるよう、私たちは努力しなければなりません。

 小学生段階ではひとまずそうできる抽象的なものは捨象して、ある適切な具体的な代理概念でもって、思考をなるべく簡素化して原理中心に理解させる、というのが私のやり方です。たとえば浮力の問題では、ものに働く「力」の矢印の本数に着目させます。要は上向きの浮力と下向きの重さが釣り合っていることを理解することがポイントだからです。

 化学反応の問題では、反応式が使えませんし、イオン結合の理解も無理です。だから、たとえば塩酸がアルミニウムに触れると、水素が発生し、アルミニウムが塩化アルミニウムになるという内容でしたら、水素の発生がポイントですので、「塩化アルミニウム」を捨象してしまい、「ついでに“なんか”ができる」で済ませます。

 それから、楽しさも必要ですね。ちょっとした言い方ひとつで子どもたちの印象度、記憶度がグンと変わります。たとえば電磁力を「強める」と言うとき、私は「パワ~アップ~~!」と大声で叫びます(笑)。

 次に理科学習のポイントということに話を進めますと、やはりまず「自然現象に興味を持つ」ということでしょう。そして「なぜ?」です。これを原動力に「自分で試行錯誤してみる」ことが理科の力をつける最大のポイントです。逆に「自分で試行錯誤しない」ということが最大の問題です。

 自分が知らないことは、自分で調べたり考えたりせずとも、人から何でも教えてもらえる。教えてもらったことを何の疑問も持たず、そのまま知識として暗記していく。そうして理科が暗記科目だと思ってしまうのです。残念ながら、これは理科に限ったことではなく、現代の子どもたちにありがちな姿ですが…。

日常の自然変化への興味や関心から科学への知的好奇心を育てていく

安川 私たち理科指導者としては、保護者の方々にお子さまが小学校低・中学年のうちに自然の移り変わりに敏感になるよう育まれることを強くお勧めします。まず保護者の方ご自身がそうなっていただく必要がありますが(笑)。季節と生き物、天候や天体の変化など、あたり前とやり過ごさずに、お子さまとごいっしょに不思議を感じながら楽しまれることです。季節の風物詩、季節行事も大切にしてください。「お盆」の意味がわからない小6生がいました。季節感がどんどん失われつつあるのが現代です。しかし季節変化こそ自然そのものです。

 また、科学的な疑問や不思議、つまり「なぜそうなるのか?」は日常生活の中にいくらでも溢れています。なぜ液体に浮くものと沈むものがあるのか、なぜ水は氷になるのか、どうして地震は起きるのか、なぜ日食は起きるのか、などなどすべての自然現象を説明したり、式で表したり、実験室で再現して自然をコントロールすることを証明するのが自然科学です。

 現代は、“人為的刺激”の時代でもあります。なんの変哲もない公園や野山で遊べる子は少なくなり、家ではテレビゲーム、外ではテーマパーク遊園地のような強い刺激を与えてくれるものにみんな引き付けられています。向こうから刺激を与えてくれない公園や野山では、そこにある“自然”に自分から興味を持って働きかけることで“刺激”を受けるという関係になります。これが“自然”に向き合う基本スタンスです。“自然”はこちらが興味を持たなければ、なんの変哲もなく通り過ぎていくものなのです。

 これまで気づかなかったことを今さら言ってもしかたがないでしょう。まさにいま学んでいる理科を通じて、ふだんの生活、身の回りで、自分は自然科学(サイエンス)の真っただ中にいるのだと気づいてもらいたいですね。たとえば、能開に電車に乗って行く、家で電灯をつける、エアコンをつける、これすべて電力、電気ですね。科学なくして、ふだんの生活もあり得ないのです。

 入試のための理科学習と思われがちですが、そういう形で済ますことも、将来の科学学習の始まりとして行うこともできます。私学の先生方は入試問題を通じて、中学高校での本格的な理科学習への準備状況を試そうとしてきっと作問されているはずです。知的好奇心が問題を解くカギになっていることもその証拠です。難関校になればなるほどそうなのです。私たち能開センターの理科指導者も心は同じです。入試突破の理科学習を通じて、ほんものの理科、科学を学んでいってほしいと思っています。

 サイエンスっておもしろいですよ。電力で回るのがモーター(発動機)ですが、発電機を回して作るのが電力です。モーターと発電機、このひっくり返しって、素直に「へぇ~」って思いますよね。これが知的好奇心です。私たちは、入試突破に必要な得点力をつけるとともに、受験理科を材料にして子どもたちの知的好奇心をしっかりとくすぐっていく指導をしていきたいと思います。なぜなら、この心こそ能開センターが子どもたちにぜひとも合格力とともに育んでいってもらいたいものだからです。

ありがとうございました。