頂への道・算数編~後編~
この記事は 2019年07月05日 に書かれたものです。
現在は状況が異なる可能性があります。
『真の「頂」をめざすαクラスの指導の本質と精神』
最難関選抜Sクラス統括責任者・Sαクラス算数担当:鳥居 輝良
3.勝者のメンタリティ
ここまで、学習上のポイントについて述べてきました。
ところが、試験、特に入試というものはそういう問題解決能力、スキルだけで決まるものではありません。
人間は機械ではなく、心を持つ生き物だからです。
①.勝負する
勝負強くなることが大事です。αクラスには「灘模試」という勝負が年間8回ありますが、これよりもっと日常的に立ち向かわなければならない身近な勝負があります。「確認テスト」(復習テスト)であり、「プチ演習テスト」(小実力テスト)です。これらは私が採点をし、その間違い直しを他の宿題よりも優先の宿題として、全問正解するまで何度でも提出を義務づけています。それまで答えは渡しません。
ここで“勝負”となるのは、どのタイミングで直しを私に出すかです。「間違っているかもしれない」となかなか出せないタイプの子どももいます。つまり勝負しない。出すのは判断であり決断です。ことばを変えれば“ギャンブル”です。合っているかどうか絶対の自信を持てることなど、そうあるものではありません。それでも勇気をもって一歩踏み出す、無用のリスクは回避しながらもあえてチャレンジしてみる、そんなタフなメンタリティが求められているのです。
②.行動には責任が
私は各人の学習の進め方などについては、細かいことは何も言いません。学習が自分に身につくよう宿題をどう進めていくか、自分なりのスタイルでやってくれればよいと思っています。つまり、結果を出すための方法は本人に任せています。
ただし、行動には責任が、つまり結果が伴うということを学ぶ必要もあります。それは自分の能力を伸ばすために、また人間としての成長にとっても大事なことだと考えています。模試などの実力テストの結果についてはともかくとして、確認テストの結果は十分に自分のコントロール下にあるはずです。学力を着実に前進させるためには、自らの行動(学習)の先にある結果に責任を持って取り組むことが大切です。
確認テストは数値替えなどではなく、先ほど述べたような学ぶべきエッセンスを理解できていれば解け、そうでなければ解けない問題です。学習スタイルは自由ですが、授業で学んだ大切なエッセンスをしっかりと自分に定着させる学習を、結果につながるレベルに到達するまできちんと実行することが各人の欠かせぬ責任となります。
③.怖さを知る
算数は、部分点指定がある場合の例外を除き、最後の解答を導き出していくまでの過程のどこかで、たった1つのミスをするだけですべてが無に帰してしまう非情な教科です。しかし子どもたちは概してその怖さを十分には承知していません。
その1問で自分の人生が変わる――。人生そのものが台無しになるわけではありませんが、その1問で自分の夢がかなうかもしれないし、かなわないかもしれない。その怖さを十分認識しなければいけません。そこを乗り越えた者だけが次のステージへと進めるのです。これが勝負のシビアさです。
怖くなるほどの真剣勝負。このことでは、αクラス2期生たちと過ごした、あの熱い夏の日のことを思い出さずにはいられません。充実した夏でしたが、最終日に最後の確認テストを行いました。毎日その日の結果でクラス内順位が目まぐるしく変動し、この日の結果で最終的なランキングが確定します。それをかけての最後の勝負でした。
「始め!」の号令の後は、鉛筆の芯が用紙を叩いたり滑ったりする以外は無音の世界です。残り時間が少なくなったころ、異様な雰囲気に気づきました。ある子は鉛筆を握る手がぶるぶる震えています。別の子は顔が上気し、今にも涙をこぼさんばかりです。手が震えている子はほかにもいます。中には、見直しのあと満足してか、抑え切れず思わず笑みが湧き上がる子もいます。
1問の重み。この1問の出来不出来で勝負が決まる。すべてが決まる。本気で向き合っているからこそ、その重みが一人ひとりにこれほどの緊張や高揚を生んでいたのです。子どもたちが勝負の怖さを知った夏でした。子どもたちの成長を感じました。その年の入試の結果もまたそれが十分反映されたものだったと思います。
結果を出さなければなりません。そのためには「勝負」に付きまとう不安や怖さとうまく付き合うことが大事です。それが自分の持っている学力を存分に発揮していける条件の1つではないでしょうか。
④.教育に携わる者
自身を「教育者」などと大上段に構えて言うつもりは全くありません。
ただ、少なくとも自分たちの何気ない言動も子どもたちの成長の中で善かれ悪しかれ、いろいろな影響を与えているものとしっかりと認識し、よく自覚して指導しなければならないと思いながら教壇に立っています。
受験学習の中で、学習そのもの、また今までお話ししてきましたような「何をどう学べばよいのか」を指導しています。まずは目の前の中学受験ですが、そこをクリアしても子どもたちは6年後には再び大学受験に臨みます。それからも、「勝負」となる人生の関門は続くことでしょう。
ですから子どもたちには、単に学力面だけでなく人間的な面を含めた、自分で幸せを勝ち取ることができる力をぜひ身につけていってほしいと願っています。もちろん、周りの人たちの助けも得ながらですが、それができるのも本人の力です。受験はそんな力を磨き、人間的にも大きく成長できる、またとない機会です。言うまでもなく受験は義務ではありません。あえてそこへ跳び込んだのだからこそ、それをもっと活かしてほしいと思うのです。
私自身は、子どもたちの前で手を抜かず、全力で生きる大人の真剣な姿を見せることが自分にできる最大のことだと思っています。子どもたちがそれを見てどう思い感じているかはわかりませんが、私はこれまでそうしてきました。
こんなことを話してくれた教え子がいます。成長し医者になった彼は困難な手術を前にして、中学受験当時の自分をよく想い起こすそうです。私の手で黒板の隅に毎日書かれていた、入試日までのカウントダウン。「あの時と同じだ。負けられない!」と自分をいつも励ますのだそうです。うれしい限りです。もしこんなふうに想い起こしてもらえたら幸せだなと思いながら、日々指導に当たっています。
4.頂の本質
本日は「頂への道」というタイトルでお話ししてまいりましたが、私が申し上げたい「頂」というものについてご理解いただけましたでしょうか?
端的に言いますと、頂点は必ずしも灘ではありません。
めざすべき頂はもっと先にあります。上限を決めつけないことが「頂をめざす」という意味であり、それはチャレンジを続けていくという生き方そのものです。
現実に引き戻せば、現時点での成績だけで志望校を決めたり、ある志望校だけに合わせた受験学習をしたりするのは、せっかくの中学受験というチャンスをふいにしてしまうということです。
現時点での志望校がどこであれ、それを超えた学習ができるのであればそれにチャレンジすべきです。現状にとどまるだけの受験は何も残しません。チャレンジしてみることが何より大切だと思います。その成否にかかわらず、後に活かせる経験値が全く違いますから。
以上のような考えでαクラスを運営しています。受講資格はございますが、αクラスへぜひご参加ください。お待ちしております。