特別編 教育フォーラム「国語最適学習法」~後編

記事の日付:2014/12/19

この記事は 2014年12月19日 に書かれたものです。
現在は状況が異なる可能性があります。

 

『正しい読み方・学び方で国語文章問題の得点を伸ばす』~後編
国語科主任:露口 和男

露口 和男・国語科主任が語る“合格指南”

特別編教育フォーラム「国語最適学習法」

正しい読み方・学び方で
国語文章問題の得点を
伸ばす ~後編~

能開センターでは、中学受験をお考えの保護者の方々向けに「教育フォーラム」を開催しております。
今回の「リーダーズインタビュー」は特別編として、「国語最適学習法」についてお話しました国語科主任・露口和男の講演を掲載いたします。

3.論理的文章には、どうアプローチしていけばよいのでしょう?

論理的思考を「人工知能」と「タグ付き文章」との類比で探る

 2014年11月2日、国立情報学研究所(NII)による人工知能(AI)プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」の2014年・成果発表会が新宿で開かれました。大学入試問題を解ける人工知能を作ることを通して、AIの新たな可能性を探索し開拓することをめざすプロジェクトです。2011年にスタートし、2016年までに大学入試センター試験で高得点を獲得すること、そして2021年に東京大学の入試を突破することを目標にしています。

 通称「東ロボくん」は模擬試験において偏差値47.3をマークするに至ったことが新聞報道されたことは記憶に新しいことだと思います。また、今年の7月、AP通信が人工知能を記者として採用することを発表しました。すでに人工知能の記者も存在するのです。

 さて、この「東ロボくん」ですが、現代国語では“漢字博士”である一方、「文脈理解ができていない」という特性を示しました。そして数学では「このとき」「また」「よって」「したがって」等の言葉の意味と使い方がわかっていないという結果に終わっています。

 私たち人間の読解とは人工知能の読解は似て非なるものかもしれませんが、手法の一つひとつに同質なものが皆無だとは言い難いものがあります。ここに示した人工知能の特性は、人間が論理的文章に叙述されている文字情報を読み解くときに、障害となる事象と同じことが含まれているのではないでしょうか。

 もう一つ、論理的思考を考える材料をお話します。筑波大学大学院博士課程で「概念図の自動生成による文章内容の可視化」という修士論文が発表されています。簡単に述べますと、「文章から図(ツリー構造などの構造図)へのメディア変換」を、明示的に埋め込まれた「タグ付き文章」(GDA)から容易に得られるようにしようという内容です。

 言語メディア(文章)は多様な表現ができる反面、「物理的構造・論理的構造」を直感的に表現しにくい、概念の重要性を直感的に表現しにくいという欠点を持ちます。一方、図的メディア(図・構造図)は、各種構造を直感的に表現できるという長所をもっています。

 ここで挙げられている、タグ付き文章のタグは、文章を「流れ」ではなく、「ブロック」ごとにリストラクチュアリング(再構築)させ、論理的構造を図式化する信号の役割を担います。

 その例を挙げてみます。

1.  大阪本町糸屋の娘。
2.  姉は十六、妹は十五。
3.  諸国大名は弓矢で殺す。
4.  糸屋の娘は目で殺す。

 人口に膾炙されていて講釈を入れるまでもないのですが、まず「大阪本町・糸屋の娘のことですけどね」と話題を提示します(問題提起)。これが「起」です。これを受けて、「上の娘は十六歳、下の娘は十五歳なのですよ」と話題を深め、発展させます。これが「承」の部分に当たります。「転」の部分では前の「起」「承」の流れを一転させ、話題転換を図ります。その上で「結」でまた一転して元の文章展開へと合流させます。

 「転」では、「武士、大名は弓矢で人を殺しますが」と言っておいて、その一方で「同じ殺すでも糸屋の娘は違います。目で男を殺すのです」というのです。「それほどの美人だよ」ということを強調するために、「起」「承」の流れと異質の「転」をわざわざ持ってくるわけです。「転」は、糸屋の娘が希代の美人であることを強調するための伏線とも言えるでしょう。

 この起承転結の“間”ですが、第1文と第2文の間には「展開の関係」が存在し、第3文と第4文には「対比の関係」が存在します。また、第2文と第3文の間には「話題転換の関係」があり、第1文および第2文と第4文の間に「展開の関係」があります。この4文を、タグ付き文章(GDA)を用いて明示的に記述したのが次のものです。

大阪本町糸屋の娘.
姉は十六、妹は十五.
諸国大名は弓矢で殺す.
糸屋の娘は目で殺す.

構造図にしますとこうなります。

論理的文章の読解とは連接関係で中心文をたどること

 説明文や論説文でのPlanとは、文脈の中心を追いかけることです。そのためには文と文、また段落と段落の「つながり」(連接)が理解できなければなりません。そして、これが「論理的思考力」の要なのです。このことはAI(人工知能)であろうと、GDA(タグ付き文章)であろうと、人による読解であろうと変わりはありません。

 子どもたちは「接続語」がない限り、つながり(連接)をほとんど意識しません。しかし、文と文の間にはこの例のように必ず「接続語」が必要なのです。つまり、そこには“見えない接続語”があり、何らかの連接関係があるということです。

 各段落の中心文は、この連接関係によって文脈を生成し、段落そして文章全体の意味を紡ぐのです。これは、段落が文と文の“足し算”で出来ているわけではないことを意味します。同様に、段落と段落のつながりも“見えない接続語”で論理的に連接されていて、単純な“足し算”のような理解では文章全体が理解できたとは言えないのです。

 皆さんには、高校英語の分詞構文で学習したことを思い出してもらえますと、“見えない接続語”の役割をご理解していただきやすいと思います。

○ Entering the room, he saw a cat under the table.

When he entered the room, he saw a cat under the table.

○ Being tired, she went to bed at once .

As she was tired, she went to bed at once.

 論理的文章の読解の基本は、こういう接続語を使用してできる「関係」を正確に把握することです。一例をあげますと、「AつまりB」におけるAB間の関係、「AだからB」における関係は、当然のことながら違います。ですから論理的思考とは、文や段落の連接を単純に文や段落が連続してただ並んでいるとするのではなく、文と文、段落と段落の間にある関係性を見つけ出しそれを整理することであり、論理的思考力とはそれを可能にする能力だということになります。

この部分は、前の部分と同じことを言っている…言い換え

この部分は、前の部分で述べていることの具体例だ…具体化・一般化

この部分は、前の部分を根拠にして主張を述べている…原因・結果

この部分は、一つ前の一般論の部分と比べながら書かれている…対比

この部分は、前の部分に書かれた内容の理由になっている…原因・結果

 このように文章の部分部分の関係をブロック化して整理していくことが、論理的文章のフレーム・ワークです。段落はいくつかの文から、文章はいくつかの段落から成り、それらは相互に、言い換え、具体化・一般化、反対、対等、原因・結果など、多様で複雑な関係でつながれています。

 以上のような観点をもって読み進めていき、「どの段落(文)とどの段落(文)が等しいか」「どの段落(文)とどの段落(文)が反対か」「どの段落(文)が主張で、どの段落(文)が主張の根拠か」等を、最初の問いに至るまでに把握しておくことが論理的文章でのPlanであり“航海術”なのです。

4.文章読解力の基盤となる言語知識については、どう学べばよいのでしょう?

言語感覚、語彙ストーリー、脳内ネットワークによる記憶

 「普通名詞」や「固有名詞」は、最悪はビジュアルからでも認知できますが、「平和」「愛」「友情」「勇気」等の「抽象名詞」、また「用言」(五感を伴う「形容詞」や「動詞」、「心情語」も)はやはり幼い頃からの直接的な言語体験に、情緒体験を含めてですが、依存します。

 なぜなら、五感で「スキーマ」(図式、枠組み)を形成していくことを核に、後者の言葉は組織化されていくからです。また読書は、言語的に間接・代行体験となる上、知識や教養を主体的に学ぶためにも欠かせない体験ですので、強くお勧めします。

 読書を含めた諸経験を通じて、「心的辞書」(メンタル・レキシコン)が言葉の背景をつかみにかかりますので、スキーマを働かせる機会が増加し、結果的に言語感覚が磨かれていきます。

 また、語彙の学習ということでは、言葉学習のための「選定語彙」だけでなく、素材文中の「作品語彙」からも学習する必要があります。そして、鋭い言語感覚を磨き心的辞書内に高度な検索ネットワークを敷設するには、語彙を単純理解・記憶するのではなく、機能的に、さらに体系的にも学び、一方向だけでなくそれにヨコ串を刺すように学ばないといけません。

 一つには、和語・洋語・漢語を問わず、反対語・同義語で整理し、語彙ネットワークを縦横に拡張することです。たとえば、「とりつく島もない」という成句を学習する時には、「にべもない」「すげない」「つれない」「そっけない」「木で鼻をくくる」「けんもほろろ」、といった語句をセットで学習するようにし、相互の語句における学習機会度をシステム的にあげていくのです。

 もう一つは、記憶のメカニズムに注目し、ストーリー記憶とすることにより、長期記憶化することです。慣用句やことわざなどを語源とともに学ぶのがこの方法です。一例をあげますと、「立錐の余地がない」の「錐」は「きり」で、「錐を立てるほどのすきまもない」ということなので、「わずかなすきまもない」という意味なのだというように、ストーリー化して記憶していくのです。以上の2つの方法をクロスさせて学ぶとよいと思います。

 なお、大脳生理学の最新研究によりますと、脳は記憶のインプット以上にアウトプットを重視しているようです。あるテストで間違った問題を再学習する場合、やり直し自体は間違った問題だけでよいのですが、1週間後の再テストの際にはその問題だけよりも全問実施した方がより記憶に定着するのだそうです。つまり、記憶するには「テストすること(出力すること)が必要不可欠であるということです。こういう知見も生かしながら、語句などの知識学習は進めたいものです。

5.国語の得点を、さらに伸ばしていくにはどうすればよいでしょう?

読書は“道徳教育”であり、また知らない世界や価値にふれること

 読書の効用について申し上げます。まず、左の図をご覧ください。
これを見て「立方体」と答える人は、実は右の図のように点線を自分で補って、見えない裏側を含めた「全体像」(ゲシュタルト)を作り上げているのです。もしそうでないなら、左図を見て「九本の線」と答える人がいても不思議ではありません。

 情報の受容者は、限られた情報から全体像を作り上げる。読者は作者からヒントをもらい、自分なりに全体像を作り上げていくこのような考え方を「ゲシュタルト心理学」と言います。そして、「既知」の物語から全体像を作り上げるのがスキーマです。読書をする最大の効用は、このスキーマが働きやすくなることなのです。

 『中学入試国語のルール』や『国語教科書の思想』の石原千秋氏は、著書を通じてこう述べられています。戦後の学校教育は子どもたちの人格形成を使命の一つとしていて、現在その役割を担っているのが「国語」である。教育はソフトなイデオロギー装置であり、国語教育とはつまるところ“道徳教育”である、と。

 私見ではありますが、道徳や宗教などの教育機会が乏しい中、東日本大震災の際に見せた、日本人の礼儀正しい振る舞い等は、実はこうした隠れた“道徳教育”が大きく寄与しているのではないかとも思われます。

 ともあれ、物語文においては“道徳”に関係する主題が多いのです。特に受験を含めた学校という教育空間では、結末での収束(予定調和、期待の地平)に向けて、読解スキーマを働かすことができれば、物語文の理解を進める上で大きなアドバンテージとなります。

 たとえば「友情」が描かれた物語では、文章全体を通じて「友だちを大切にしよう」というメッセージが読者に語りかけられているはずです。つまり、このテーマは何を語ろうとしているのかに気づけば、物語を先回りして読むことができますし、求められる解答の方向性もわかります。同時に、情的側面における反応形成にも大きく寄与します。

 根源的には、読書というものは他人の人生を追体験できる唯一の機会です。そして、さまざまな他者、知らなかった人生観・価値観・世界観に触れることが人間を豊かにするのです。

 また、論説文においては、大きく言えば「世界」や「人間」、また「私」といったものが文章のテーマになっています。そして、他者の意見・知識が自己の判断の血肉となっていきます。読書はこのような意味でも効果あるものなのです。

 代表的な論説テーマにおいて何がどのように論述されることが多いかを知っていることは、読解を助けることでしょう。また、大人びた興味や関心があるかどうかが特定テーマでの論説文理解に関わってきます。

「パワーアップノート」で具体的なメソッドを磨く

 最後に、国語学習の「P-D-C-A」についてアドバイスいたします。
初めに、「Plan(計画)-Do(実行)-Check(チェック)-Act(行動)」というフレーム・ワークを紹介しましたが、実際の学習の中でオーソドックスにPlan(計画)から始められる子どもはなかなかいません。では、どうすればよいのでしょう。

 実はビジネスの場合にも似たようなことがあり、前回の取り組みで得られた成功体験・失敗体験を踏まえた「原因究明」(C)と「対策行動」(A)から、「次の計画」(P)を設定することが多くあります。つまり、そのフレーム・ワークは「P-D-C-A」ではなく「C-A-P-D」なのです。

 ここで大切なのは、各種要因の原因を抽出するCheck(チェック)、そしてそのAct(改善行動)ですが、得られた教訓を組織内全体に落とすには、標準化して一つの仕組み、行動メソッドにしなければなりません。

 これを読解の学習にあてはめてみましょう。まず、能開センターの「中学受験公開模試」や「実力テスト」なら、採点答案とともに「小問別正答率」が載った成績帳票が返却されます。間違いを闇雲にやり直しても効果的ではありませんし、すべてをやり直すような時間もありません。正答率をチェックし、自分だけ正答率が低い問題に優先的に取り組みます。

 これをもとに、「パワーアップノート」を作成します。なぜ間違えたのかのC(チェック)をして、同じ間違いをしないためにどう行動すべきか、次回のための改善行動をまとめます。それがA(行動)です。ただし、次回のP-Dで実行可能なように具体化されていることがメソッドとしての修正です。「なぜ」から「いかに」へと視点をスライドさせ、読解作業あるいは解答作業でのメソッドとして、行動レベルで具体的に修正するのです。

 そのためには、「自分の書いた解答に○と×をつけて、×のところの正解を書いただけのノート」ではなく、「なぜ」という観点で毎週毎週、思考を練成してほしいです。ここから始めてください。この段階がクリアできれば、次の段階へとコマを進めます。

 解説集を読み解いていく中で、「前の段落の内容に注意しなさい」「後に続く文との関係を考えなさい」等、正解に至るまでの思考ルートが確認できるのですが、ポイントはその「思考ルートの見落とし」ではありません。むしろ、「正解した仲間たちはそのルートがきちんとトレースできているのに、なぜ自分はできないのか」(自他の違い)というところにあります。

 「自分も必要な場所を確実トレースするためには、どのような事前了解が必要であったのか」をあぶり出すことが真のポイントなのです。ここを行動レベルで言葉にしておかないといけないのです。そうでないと、見たことのない素材文に対してD(実行)するときに、効果的に実行ができなくなります。

 ただ、ここまで来ると、自分ではC(チェック)が正しいのかどうかわからないことや、未知なる素材文に対してのA(行動)と言われてもどうしたらよいかわからない設問に出くわすこともあるでしょう。それが国語の「わからない」であり、そのときが“質問タイミング”なのです。思い立ったが吉日、すぐに担当の先生の門をたたいてください。

 以上、いろいろと述べてきましたが、「国語」を“特殊”な科目としないこと。単なる“心構え”ではなく、行動上の課題を見つけて“技術”として必要な修正を進めていくことが国語の着実な成績向上のカギです。子どもたちとともにがんばりたいと思います。